のんびりゆっくり、気になるところに立ち寄りながらサイクリングすることを「ポタリング」と呼ぶ。今回は世田谷区内のポタリングの第2弾。いつも何気なく通っている街の片隅にある隠れた名所を回ってみた。
今回は区が制作している「世田谷区サイクルマップ」をスマホにダウンロードして、そこに掲載されている見どころをめぐり、気になるスポットに立ち寄っていく。
トンネルを抜けると そこは…?
マップの西半分に掲載されている17カ所の見どころのうち、前回は9カ所目の砧公園まで訪れた。
今回は砧公園のすぐ南にある「瀬田農業公園(フラワーガーデン)」からスタート。さほど大きくない公園だが、四季折々の花が咲き、季節によってはバラのアーチの中を通ることもできる。近所の子どもたちも楽しそうに遊んでいる。
次は西へ3km弱走る。再び国分寺崖線の坂を下って、喜多見方面へ向かい、「次大夫堀公園民家園」へ。園内には古民家3軒に蔵や火の見櫓などがあり、江戸後期~明治初期の農村が再現されている。結構広いスペースで、常套句過ぎるけどタイムスリップしたような気分が味わえる。
続いて、民家園のすぐ南にある「喜多見5-21遊び場(竹山市民緑地)」というところ。ちょっとした公園の奥に竹林が広がっていて、約3800㎡もの広さがあるという。かつて喜多見はタケノコの産地だったそうで、その名残を今に伝えているそうだ。
平安時代も武将「江戸氏」&古民家巡り
さらに500mほど南へ進み、「慶元寺」というお寺へ。自転車を降りて長めの参道を歩いている途中、江戸太郎重長という武将の銅像があった。
江戸氏は平安時代後期から現在の皇居あたりに居を構えていただが、室町時代に太田道灌に追いやられてこの地に移り、後に徳川家康に遠慮して喜多見氏と姓を変えたとか。
慶元寺は、1186年に2代目当主の重長が江戸氏の菩提寺として創建し、その後、江戸氏ともに喜多見に移ったといわれている。
今度は2kmちょっと東へ向かい、「岡本公園民家園」へ。ここも江戸時代後期の古民家が移築再現されているという。
しかし、この日は余裕こいて午後からのスタートだったので、午後4時半の閉園時間に間に合わなかった。まあ、古民家はいっぱい見たので、しょうがないかと諦める。
崖の上の美術館へ
次は「静嘉堂文庫美術館」へ。
三菱2代目社長の岩崎彌之助とその息子で4代目社長の小彌太が設立した美術館で、20万冊の古典籍や6500点の古美術品などを収蔵しているとのこと。
地図アプリ上では民家園に隣接しているのだが、崖線の崖の上にあるようで敷地も広く、どこから入れるのかよく分からない。何度か激坂を上ったり下ったりして、遠回りしながらようやく正門を見つけた。
旧財閥の敷地ということで敷居が高い感じはあったが、意を決して中に入っていく。緑に囲まれた上り坂の通路を上っていくと、文庫と美術館の建物の前に出た。
美術館は来年秋に丸の内に移転するため休館中、文庫は紹介状のある大学教員や学生しか利用できないとのことだが、庭園は自由に散策できるという。
続いて、静嘉堂の敷地のすぐ東にある「瀬田四丁目旧小坂緑地(旧小坂家住宅)」へ。中には、昭和12年(1937年)に建てられた実業家で政治家だった小坂順造の別邸跡があるという。
再び急な坂を上って正面入口に向かったが、ここもすでに閉園時間を過ぎていた。成城付近もそうだったのだが、国分寺崖線の崖の上は、名士たちがこぞって家を建てた高級住宅街だったんだなということがよくわかった。
最後は「ニコタマ」
再び坂を下り、東へ約2,5km走って「二子玉川公園」へ。
2013年にできたばかりの公園で、二子玉川駅の東側に広がり、多摩川の河川敷ともつながっている。園内にはスタバがあってニコタマファミリーの憩いの場的なオシャレ感もある一方、帰真園という日本庭園もあり、その中には明治末期の建物を移築した旧清水家住宅書院もある。しかし、ここも午後5時閉園で間に合わなかった。
というわけでこの日は、スタートの世田谷文学館から最後の二子玉川公園まで17カ所回り、4時間ちょっとかけて約24kmを走ってゴールした。国分寺崖線を何度も上り降りしてポタリングというには少ししんどかったけど、いつも何となく通り過ぎていたスポットにあらためて立ち寄って、自然や歴史に触れて再発見できたのは想像以上に有意義だった。やや駆け足で巡り、時間的に入れなかったところもあったけど、近場だから気軽にまたゆっくり見に行けるのもいいところだ。
サイクルマップには世田谷区東部の見どころも掲載されているので、また日を改めて行ってみようと思う。
(光石 達哉)