【五輪金メダリスト連載】戦後初の日本人金メダリストは誰?

三重 伊勢神宮 日本国旗

三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

 

20年東京五輪が新型コロナウイルス感染拡大の影響で史上初めて1年延期された。

21年に開催されれば“コロナ禍で初”となる同五輪でもたらされる初めての金メダルは、日本に限らず世界の感動を呼ぶに違いない。

世界情勢こそ違うが、今から68年前に戦後初の日本人金メダリストとなった男は、その小さな体で日本国民に大きな勇気を与えた。

 

 

52年ヘルシンキで16年ぶり金

戦後、日本の五輪参加は1952年ヘルシンキ大会からだった。

東京で開催されるはずだった40年大会は戦況悪化の影響で中止となり、その後は敗戦国になった日本が五輪へ選手団を派遣できるようになったのは、実に16年ぶりのこと。

日本代表選手はわずか72人だったが、石井庄八はレスリングのフリースタイル・バンダム級で金メダルに輝いた。

 

日本レスリングの礎築く

身長160センチの小兵ながら、予選リーグを5戦全勝で通過。無敗のまま迎えた決勝では、金メダル候補だったマメドベコフ(ソ連)を倒した。

選手団、応援団、その場にいた日本の関係者ほとんどが涙したという石井の優勝が、この大会唯一の日本人金メダル。

この後、日本が2016年リオまで16大会連続でレスリングのメダルを獲得していることも考えれば、歴史的な快挙がより輝かしく見える。

 

GHQの影響で柔道から転向

1926年、千葉市生まれ。旧制千葉中学(現県立千葉高)では柔道に励んでいたが、中央大学進学はGHQ(連合国軍総司令部)の戦後占領政策の一環で学校での柔道が一時禁止された。

そこで、レスリングに転向し、すぐに頭角を現す。当時の日本は食糧難にあえぐ時代だったが、猛練習を重ねて50年の全日本選手権で初優勝した。

 

スポンサーとの縁つなぐ

石井は後進の指導と競技の普及にも熱心だった。五輪後は母校である中大レスリング部の監督を務め、56年メルボルン五輪では日本代表コーチとして、笹原正三ら多くのメダリストを輩出した。

また、大学卒業後に入社した大手広告代理店の電通では、担当した明治乳業(現明治)との関係づくりに奔走。石井が縁をつないだ明治は、現在も「明治杯」を開催するなどスポンサーとしてレスリング協会を支援し続けている。

 

日本の戦後復興を見届けたかのように、石井は80年に腎臓がんのため53歳の若さで亡くなった。歴史の新たな節目となる21年の東京五輪では、誰が日本人最初の金メダルを獲得するのだろう。

(mimiyori編集部)