【連載「生きる理由」141】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「生き方が分からない」話①~普通の生活を初めて送る中で

夫人が監督を務める道場「EDGE&AXIS」で教え子たちの練習を見守る内柴氏(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は、「生き方が分からない」話。

仕事にも慣れ、当初は難しかった売上計算、ポンプ修理も手早くできるようになった。
家族がいて、仕事を得て、夫人が開いた道場の手伝いがある。
時には、柔術、グラップリングの試合オファーを受けることもある。

充実した日々に思えるが、
「普通の生活」を初めて経験している内柴氏の心の動きについてつづる。

 

 

 

たまにやってくる「鬱々とした日」

練習中に道場生を持ち上げる内柴氏(提供:合同会社EDGE&AXIS)

はい、
お久しぶりです。
いつも日々に追われて、何にもやる気がしない時は何にもせず過ごしています。

最近、調子がいいです。
ポンプ修理もパッパと終わらせて、毎日の売上の締めもさっさと終わらせて
遅い晩酌の準備をする日もある。
ちょっと膝が痛いのが今の悩み。
では、あるけれど
柔道の練習も「俺が一番やりたいんだよ」と子どもたち相手に打ち込みをしています。
ジョギングが今ひとつできていない。
そんな日々です。

これがね、
どこにスイッチがついているのかわからないのだけれど
何もしたくない時が続くことがある。
面白いもので、同じ1人の人間なのに陰と陽が日によって違うんですよね。

 

振り返って思う「頑張っているフリ」

道場用に倉庫を借りた当初は何もない状況だった(提供:合同会社EDGE&AXIS)

柔道だけしている時――してていい立場の時がありました。

もう、自分の才能にない、より高いものを目指していました。
届かないもの、かなえる方法が分からないものを追い求める日々でしたから
良い日より悪い日が多いに決まっている。
その悪い日だって、希望に満ちて生きていたのです。

それは柔道に専念させてもらえていたから
「こんなはずじゃなかった」
「ここを乗り越えて突破してやる」
といろんな思いがあったのだろうけれど。

今の人生の進め方は
生きるための風呂屋、
生活のための仕事が一番大事。
だから、何だろう。
働かせてもらっていながら、最初は演技して“頑張っているフリ”をしていたのではないかなあ。
なんて、ふと思うのです。
今は仕事にも慣れて、頑張るほどの演技をしていません。

ポンプをパッパッと終わらせることができるのも、仕事を覚えたからでしょう。

 

2時間かかった作業が 今では15分に

難しかった修理も短時間で終わらせられるように成長した。内柴氏が言う「演技」とは、無意識ではなく、意識的に努力することをさすと思われる(提供:合同会社EDGE&AXIS)

僕が風呂屋になると決めた時に反対する人はいました。
大丈夫、何にだってなれるんだから。
そう覚悟をしたものです。

やっと“頑張ってる演技”がいらなくなったゾーンに入りました。

普通、通常運転。
つまり、もっと頑張れる状態ですね。

はじめの頃は
何にも知らないわけだから、とにかく習うしかない。
歳を重ねているだけ、今さら習う必要のないことまで習うこともある。

これ、良かったのは
本当に世間知らずで生きてきていたことが良かったのかもしれません。
だって、プリンターのインクを「トナー」と呼ぶことも知らなかったんだもん。
お札を数えるスピードなんて、めちゃくちゃ遅くて、しかも間違う。

以前は、売上の締め作業に2時間かかっていました。

今は早けりゃ15分。

何事も反復です。

ああ、ポンプ修理はですね。
以前は直せませんでした。
何がどうなっているのか分からない。
バラバラにする方法がさっぱり分からない。
いつ何の道具が要るかすら分からない。

それが今では
必要な工具だけを持って
止まったポンプを取り外し、作業場まで頑張って持っていき、2時間ほどで直します。

ほとんどはベアリングの交換で終わるんですけどね。

古ーい、さびついたポンプを何度も復活させることができます。

なので、鬱々とした時にですら
大変に思えるポンプ修理も、「今なら」やれてしまうのです。

地力が上がったのかもしれません。

 

強がりと演技は一定量必要

道場は内柴氏、夫人、生徒の保護者達がDIYで作り上げた(提供:合同会社EDGE&AXIS)

これを柔道していた頃になぞらえると、
人が一つのことをやり始めるのは
学生を終えてからが基本としますと(仕事や、やめられなくなってしまった趣味だとか)
柔道は塾の習い事、学校の部活動なのだけど、
「就職」です。

そんな感覚で僕はやっていました。
しかも、強くもない。
センスもない、力もない頃に
恐ろしい道場で鍛えて強くなる方法を身につけました。
なぜならば、逃げることができなかったから。

逃げようともしませんでしたし、
これは無理だと分かっていても
演技してやれるという癖をつけさせられました。

やれないものがやれるようになる経験なんて、それから何年も先。
一つめの道場をやめた後、ずーっと後に身をもって経験したんですけどね。

今ではできないことをかなえる方法として、強がりと演技は一定量必要だと思っています。

 

地力がないと「意味のある努力」自体が分からない

道場「EDGE&AXIS」の練習はサーキットトレーニングから開始(撮影:丸井 乙生)

「何でも頑張るは無理」。
誰だって、きつい、しんどい、つらいは嫌いでしょ。
意味ないもん。
やる必要ないですもん。

なので
やる必要のないものはしなくていいと思う人間です。
意味のない努力はかないません。
でも、
経験がないと、経験から身につけた地力がないと
「意味のある努力」そのものが何だか分からないです。
何をしていいかすら分からない。
何事もそうでしょう。

 

生き方が分からない

道場生にテーピングを巻いてあげる内柴氏。巻き方も教えている(撮影:丸井 乙生)

僕が今、分からないのは「生き方」と「ガバガバお金を稼ぐ方法」。
これはやり始めてないからやろうと思うけれど、分かりません。
また、風呂屋の修業と
今年、妻が始めた町道場の手伝いがあり
柔術、グラップリングの世界のみなさんにもらえる機会を大切にしようとしていますので
生き方と稼ぎ方については、きっとこれからも分からないです。
けど、思いますよね。

生き方が分かっていれば
ほどよく仕事をして
休みの日には自分の家族と海に行き、山に行き、遊園地に行ける。
それは稼ぎ方にも通じていて、稼げれば道場も今している活動も、もっと余裕があるはずです。

分からない。

でも、これまでに僕を必要としてくれた方々に出会ってきた順番に頑張ってきているので今を信じています。


(内柴 正人=この項つづく)

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◆内柴道場「EDGE&AXIS」公式HP

uchishiba-dojo.com

 

◆EDGE&AXIS 公式ショップ

umhy171911.base.shop

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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