【行ったつもりシリーズ】埼玉にひそかな桜の名所あり~城と桜のコラボレーション

寄居町の「鉢形城公園」。氏邦桜と名付けられた早咲きのエドヒガンが満開だった(撮影:光石 達哉)

読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。

桜(ソメイヨシノ)の開花が全国的に遅れた2024年春、3月末のこの日もまたまた早咲き桜を求めてサイクリングへ。この時期に満開になっていた埼玉県寄居町のエドヒガンを目指した。

 

 

早咲き桜「エドヒガン」

「氏邦桜」と名付けられた鉢形城のシンボル的エドヒガン。歴史館の裏手にあり、自転車だと遠回りになるが、未舗装の坂道を通れば近い(撮影:光石 達哉)

2024年は3月の気温が低かったからか、お花見のメインの桜であるソメイヨシノのつぼみがなかなか開かず、東京ではようやく3月29日の開花となった。これは平年より5日遅く、2023年より15日も遅いそうだ。

そんなわけで3月最後の週末でも満開はまだ数日先ということで、この時期に見ごろの桜はないかと調べていたところ、埼玉県寄居(よりい)町の「鉢形城(はちがたじょう)公園」にエドヒガンという早咲き桜があるという。

最近訪れた越生(おごせ)梅林の越生町や安行寒桜(あんぎょう・かんざくら)の坂戸市と近いエリアなので、まとめて一緒に行ければよかったが、花盛りの時期はそれぞれ微妙に違うので、途中までは同じような道を走ることになった。

 

左奥に見えるのが鉢形城歴史館(入館料:一般200円)。日本100名城のスタンプはここで押せる(撮影:光石 達哉)

この日は一気に気温が上がり、最高25℃前後と初夏並みの陽気。とはいえ、朝夕は少し冷えるので、どこまで薄着にしていいか悩みどころ。ドリンクの消費も多くなってきた。

また、3月末の週末はもともと各地で桜まつりが予定されていて、道中、桜は咲いていないもののお祭りだけが開催されて屋台に人が集まっているという光景もいくつか見かけた。

そんなこんなで自宅から片道約75kmといつもよりちょっと遠出して、鉢形城歴史館の駐車場に到着。この駐車場の右側、お城の土塁の上にエドヒガンらしき大きな桜の木が数本、ちょうど満開になっていた。

エドヒガンはソメイヨシノより開花が1週間ほど早く、例年であれば関東地方で春の彼岸ごろ(3月20日ごろ)に咲くので、その名がつけられている。別名ウバヒガン(姥彼岸)、アズマヒガン(東彼岸)とも呼ばれている。花はソメイヨシノによく似た薄ピンクだが一回りほど小さく、花びらもちょっとシャープな形に見える。

土塁のエドヒガン。この日は天気がよく、青空に映えていた(撮影:光石 達哉)

 

戦国武将の名を冠した「氏邦桜」

鉢形城の三の曲輪と呼ばれるエリア。四脚門(左)と石積み土塁(右)が復元されている(撮影:光石 達哉)

近くには「氏邦桜」という矢印看板もある。鉢形城のエドヒガンは、戦国時代の城主・北条氏邦(うじくに)の名にちなみ、氏邦桜と名付けられたそうだ。この土塁の上の桜がその氏邦桜かなと思ったが、そうでないことに後で気づくことになる。

せっかくなので、お城の中をいろいろ見てみようと自転車で回ってみる。この鉢形城は、「日本100名城」にも選ばれている。戦国時代のお城なので、天守閣のような派手な建物はないが、城塞のような複雑な作りをしているようだ。

歴史をさかのぼると、1476年(文明8)に長尾景春(ながお・かげはる)が築城。その約100年後の1560年ごろ、小田原北条氏の北条氏邦が城主となって現在の規模に拡充。関東有数の城として、北条氏の北関東支配の拠点となったそうだ。しかし、1590年(天正18)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に鉢形城も前田利家らに攻められ、氏邦は籠城戦の末に降伏して城を明け渡したという。

自転車で西の方に回り、JR八高線の踏切あたりで右折して、城内に入る。土塁や堀が入り組んでいて、堅固な城塞だったことを感じさせる。お城を思わせる建物はほとんどなく、四脚門、四阿(あずまや)、石積み土塁などが復元されている。

 

堀や土塁が複雑に入り組んでいて、戦国時代の城塞の面影が色濃い(撮影:光石 達哉)

さらに先に進むと、桜の大木が青空に向かって伸びていた。これがこの鉢形城公園メインのエドヒガン「氏邦桜」で、樹高18mもある。推定樹齢は150年を超え、寄居町指定天然記念物にも指定されている。その枝ぶりは笠鉾(かさほこ)状と形容される。笠鉾とは何ぞやと思ったら祭りなどで使う笠状の飾り物で、つまり逆U字型というか、どんぶりを逆さにしたような形をしているということらしい。

 

「氏邦桜」と名付けられた鉢形城のシンボル的エドヒガン。歴史館の裏手にあり、自転車だと遠回りになるが、未舗装の坂道を通れば近い(撮影:光石 達哉)

こっちに来なかったら、あやうくこの氏邦桜を見逃していたところだった。この日はひしめきあうほどではないが多くの人が見物に訪れていて、写真を撮ったりお弁当を広げたりと思い思いに過ごしている。夜はライトアップされるようで、近くには大きな照明も設置されている。

 

文化人に愛された絶景

鉢形城の三の曲輪と呼ばれるエリア。四脚門(左)と石積み土塁(右)が復元されている(撮影:光石 達哉)

 

「玉淀河原」から荒川を挟んだ崖の上に鉢形城がある。かつては難攻不落の城だったのだろう(撮影:光石 達哉)

この鉢形城は荒川に面していて、断崖絶壁の上に作られている。対岸の「玉淀河原(たまよどかわら)」からその様子がよく見えるらしいので、橋を渡って行ってみた。

玉淀とは、荒川が秩父の山地から平野部へ移り変わるこの辺りの流域沿岸約3kmの地域の総称。幅の広い渓谷のようになっていて、奇岩・絶景の景勝地として1935年(昭和10)に県指定の名勝となったという。近くには老舗の料亭やうなぎ屋などもあって古くからの観光地だったらしく、文豪・田山花袋らもこのあたりの景色を好んだそうだ。崖に作られたスロープ状の通路を降りると、荒川の向こうに鉢形城の岸壁がそびえていた。

七代目松本幸四郎の別邸跡地「雀宮公園」。崖の上から荒川を眺められる。この日は水量も多そうだった。玉淀河原から河原沿いを歩いて来ることもできる(撮影:光石 達哉)

さらにこの玉淀河原のすぐ近くにある「雀宮(すずめのみや)公園」は、歌舞伎の七代目松本幸四郎(1870~1949)の別邸「武州寄居町雀亭」の跡地だったところ。ちなみに七代目松本幸四郎は明治から昭和にかけて活躍し、当代の十代目松本幸四郎、俳優の松たか子、そして当代の十一代目市川海老蔵のひいおじいさんにあたる。

その七代目幸四郎がここの景色を気に入り、1913年(大正2)に別邸を建てたそうだ。現在は紅葉の名所ということだが、この時期も緑がきれいで崖上から荒川の流れや鉢形城の断崖が一望できる。園内には当時の別邸を模した東屋や、十代目松本幸四郎の座右の銘「守破離」が刻まれた石碑もある。

 

雀宮公園の東屋は、当時の別邸を模した形になっているという(撮影:光石 達哉)

 

なんと24.2m⁉日本一の巨大水車

続いては4kmほど東の「埼玉県立 川の博物館(かわはく)」へ。ここには日本最大の直径24.2mの大水車がある。水車をそばで見るには博物館の入館料(一般410円)が必要だが、帰りの距離やお財布事情を考えるとゆっくり見ていられないなと心の中で言い訳して、中には入らず外から眺めただけで帰路についた。

 

日本一の巨大水車がある「埼玉県立 川の博物館(かわはく)」。子どもたちが水遊びするスペースもあり、人気のようだ(撮影:光石 達哉)

今の時期は菜の花も見ごろ。帰り道、関越・鶴ヶ島IC付近で広い菜の花畑に遭遇した(撮影:光石 達哉)

2024年は早咲き桜をいろいろ見て回り、桜にもいろいろな種類があるなとあらためて知ることができた。次回はそろそろソメイヨシノのお花見サイクリングができるかな。

 

(光石 達哉)

 

今回のルート:①鉢形城公園―②玉淀河原―③雀宮公園―④埼玉県立 川の博物館

 

 

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