【五輪金メダリスト連載】鶴田義行(競泳)は〇〇〇で泳いで特訓した

 

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三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)
メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。

2016年リオ五輪までに日本が夏季大会で獲得した金メダルの総数は142個。本コラムでは、日本五輪史上初の金メダリストとなった陸上三段跳びの織田幹雄から、日本バドミントン史上初の金メダルを獲得した「タカマツ」ペアまで、すべての五輪金メダリストと、そのメダルに秘められたドラマを紹介する。

いつの時代も、世界一の称号を目指す選手の情熱は変わらない。五輪を制した勇者たちの姿から人生の醍醐味が見える。
 
 

日本初の五輪連覇

戦前の金メダリストは破天荒で勇ましかった。「チョー気持ちいい」の名言で知られる北島康介よりも70年以上も前に、五輪の競泳で連覇を成し遂げた男がいる。鶴田義行は、1928年アムステルダム大会と、続く32年ロサンゼルス大会の200メートル平泳ぎを、それぞれ2分48秒8、2分45秒4と当時の五輪新記録で制覇。競泳ニッポンにとっては初めての金メダル、日本勢にとっても初の連覇をもたらした。 

カナヅチから金メダリスト

1903年生まれ。幼少時代は水が大の苦手だったとされる鶴田だが、兄に近所の川に投げ込まれる“荒療治”が奏功して水泳が特技となった。当時は、現代のような練習環境や移動手段が整っていない時代。日本から鉄道や船舶を利用しての五輪会場への長時間移動は過酷そのもので、本番まで体調を維持することが難しかった。宝島社新書『日本の金メダリスト142の物語』によると、鶴田は初めての五輪への移動で本番前に体調をくずしたが、その体調不良を克服しようと、周囲の反対を押し切って異国の地のドブ川で泳いだという。

金でも「存外の結果になりました」

初めての金メダルを獲得してから4年後のロス五輪では、すでにピークを過ぎた選手として扱われ、鶴田本人も後輩たちを援護する役割を担って臨むのだが、レース本番はまさかの結末に。当時16歳で金メダルの本命とされた小池禮三を牽引して勝たせるはずが、絶好調だった自身が想定外の金メダルを手にしてしまった。レース後の「存外の結果になりました」とのコメントは五輪史上珍しい名言といえる。

 

競泳ニッポンの原点

鶴田の五輪連覇の功績は大きく、以降は日本に有望な水泳選手が数多く出現している。現役引退後も、特に子どもたちを対象とした水泳教室を開催するなど競技の普及に尽力した。後年の北島康介を育てる土壌をつくったことになる。

NHKが2019年に放送した大河ドラマ「いだてん」では、俳優の大東駿介が鶴田役を演じた。出演が決まるまでの大東は、まったく泳げないカナヅチだったが、猛特訓の末に鶴田になりきることができたという。演じた側も演じられた側も、カナヅチの克服が人生のエッセンスになっていて面白い。
(mimiyori編集部)

 

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