敵のようで敵ではない
開幕が延期されていたプロ野球が始まり、谷繁元信の舌鋒鋭い解説が見聞きできるようになった。通算3021試合出場の日本記録保持者で、現在は新聞やテレビなどのメディアで活躍する野球評論家。中日の監督も経験した元捕手ならではの、厳しくも的確にポイントを突いてくる辛口解説には定評がある。
現役時代は横浜(現DeNA)と中日に在籍した谷繁が、監督・野村克也のもとでプレーした経験はない。しかし、敵将であるはずの野村が、実は“心の師”であったことを本書で明かしている。まだ横浜の若手捕手だった90年代はヤクルト監督の野村に「ID野球」で翻ろうされ、見返したい一心で自身の技と頭を磨いた。ヤクルト監督退任後も、野村が捕手として誇った数々のプロ野球記録が谷繁の前に立ちはだかった。とにかく負けず嫌いの谷繁が、45歳まで現役を続けることができたのは、同じ45歳まで現役捕手を貫いた野村の存在があったからこそと知る。
「教えの根本は人の精神的成長」
野村が指揮したヤクルトの野球は「ID野球」と呼ばれ、当時のメディアはデータや作戦面、「野球は頭を使うスポーツ」などといった野村の発言ばかりに注目した。しかし、それは目に見えている一部分であって、野村野球の本質ではないと谷繁は言う。
「野村さんの教えの根本は、精神的に人を成長させることだと思う」
横浜時代はセ・リーグのライバルでしかなかったが、その後は野村と雑談するなど交流の機会が増えた。2014年に中日の選手兼任監督に就任した際は、野村の著書を読み漁り、野村野球をより深く理解するようになった。両者のやり取りでは、谷繁が野村を一方的に師と仰いでいたわけではなかったことが理解できる。めったに他人を褒めない野村が、自分の教え子ではなかった谷繁の実力を素直に認め、激励までしていたことに見えない絆を感じさせられる。
敵であっても育てたい
谷繁は現役時代、捕手として出場していたパ・リーグチーム相手のオープン戦で、不振にあえいでいた相手の大物打者に打席でマスク越しに助言したことがある。直後にその主砲は本塁打を放ち、その後もシーズン本番に向けて調子を上げ、以来、谷繁に心酔してしまった。同一リーグの相手ではなく、非公式のオープン戦だったとはいえ、本来は“御法度”の行為。敵とはいえ、実力を認めているからこそ育てたくなる一面はどこか野村に似ている。
(mimiyori編集部)