読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。
今回は小江戸とも呼ばれる埼玉県川越市へ。蔵造りの町並みを始めとするレトロな雰囲気で人気急上昇中の観光地を自転車でさくっと回ってみた。後半は寺社めぐり。
徳川家ゆかりの寺社
日が短い時期はあまり遠出したくないなと思い、川越へ。前半は観光客でにぎわう蔵造りの町並みを中心に見て回ったが、後半は周辺に興味深いお寺や神社がいくつかあるので、立ち寄ってみた。
大正浪漫通りを南に抜けて、東へ約1km。「成田山川越別院」、「喜多院」などの寺社がある一角にやってきた。駐輪場のあった喜多院の方から散策。約1週間後の初詣の準備なのか、順路を示す看板なども出ていたりしている。
ここは平安時代の830年に無量寿寺として開かれたが、江戸時代になった1612年、徳川家康に仕えた天海僧正により喜多院とあらためられたという。1638年の大火で建物のほとんどが焼けたが、3代将軍・徳川家光が江戸城から客殿、書院などを移築。それら「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられる部屋が、今でも残されているという。
自転車用のお守りゲット
境内を南側に進むと、日本三大東照宮のひとつ「仙波東照宮」がある。残る2つは栃木の日光東照宮と静岡の久能山東照宮で、実は3番目を名乗っている東照宮はほかにもいくつかある。
ここは三大と呼ぶには小さな東照宮だが、それなりの根拠があるようだ。家康の遺骨を久能山から日光に運ぶ途中、天海僧正が喜多院で4日間法要を執り行い、のちに東照宮が造られたとのことだ。
喜多院を離れ、歩いて成田山川越別院へ。千葉の成田山新勝寺の別院は全国にあるが、ここが最初のひとつのようだ。成田山と言えば、交通安全。祈祷で訪れる自動車のための駐車場が広くとられている。僕も自転車用のお守りを買った。
童謡「通りゃんせ」 発祥の地
再び自転車に乗って、北へ。ちょっと道に迷って遠回りしつつ約1kmほどで「三芳野神社」に到着。約1200年前の平安時代初めに創建された神社で、童謡「通りゃんせ」の発祥の地と言われている。
「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ」
なんでも江戸時代、この神社は川越城の城内にあり、普段は領民が入ることができなかった。参拝できたのは年一度の大祭か、七五三のときだけ。そのときも侍が警護する城内の通路をおそるおそる通ってお参りしたそうで、その様子が唄になったということのようだ。さらに当時、川越は水運で江戸との行き来が盛んだったので、この唄も江戸から日本中に広まっていったとされる。
神社が城内にあったことの証として、すぐ裏手には「川越城本丸御殿」がある。江戸時代は16棟、1025坪からなる大きな御殿だったそうだが、現在は玄関部分と大広間・家老詰所を残すのみ。
縁結びの「川越氷川神社」
再び自転車に乗って数百m北へ走ると、「川越氷川神社」がある。平成2年に建てられた大鳥居は、高さ15mで木製の鳥居としては国内最大級だそうだ。
境内に入ると、大勢の参拝客でにぎわっていた。これまで訪れた寺社は割とひっそりしていたけど、ここは若者も多い。なんても「縁結びの神様」として有名で、特に恋愛運のおみくじの周りに多くの人が集まっている。
この神社の創建は、古墳時代の6世紀。主祭神はヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトで、このとき助けられて妻となったクシナダヒメやその両親らも祀られていることから、夫婦円満、家族円満、縁結びなどにご利益があると伝えられている。
少し市街地を離れようと、東へ。国道254号沿いにあるJA直売所「あぐれっしゅ川越」に出ていた「埼玉名物・武州うどん」の看板にひかれてランチタイム。人気で混んでいたけど、お腹を満たすことができた。
さらに約2㎞東へ。この日、最後に訪れたのは川越市の東に広がる伊佐沼。季節によっては沼の周りに桜、ハス、ヒマワリなど花が咲くようだが、真冬だと訪れる人もほとんどなくひっそりしている。
まだ午後2時半だが、早くも少し日が傾いてきた。帰りは荒川沿いを走ったが、いろいろ観光していたらそれなりに時間を使ったようで、結局、帰宅途中で日は暮れてしまった。
川越は駐輪場探しに苦労したところが何カ所かあったけど、見どころが狭いエリアに集中しているのが利点。レンタサイクルやシェアサイクルもいくつかあるので、電車で行って自転車を借りても楽しめるかもしれない。
(光石 達哉)