【連載「生きる理由」144】柔道金メダリスト・内柴正人氏「たまに鬱々した時間が訪れる」話①~やる気が出ない時は「出るタイミングを待つ」

内柴氏はウオームアップウエアのように、いつもタオル地のガウンを着用している(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は、「たまに鬱々した時間が訪れる話」①。

仕事をしながら柔道を指導する。
そんな生活を送る中で、たまにふっと「鬱々とした日」「鬱々とした時間」が訪れるのだという。

仕事を持つ社会人となった内柴氏は、
自分の気持ちとどう向き合っているのかについてつづる。

 

 

やる気が出ない時は「タイミングを待つ」

道場生に身振り手振りを交えて指導する内柴氏(撮影:丸井 乙生)

たとえば
鬱々とした日、
鬱々とした時間が来たら、どう捉えればよいのか。

今はね、
やる気のしない時はですね、
第一は「やる気が出るタイミングを待つ」です。
これが一番、やる気がない時にやる必要がない時はやらなくていいと思います。
必要があれば、やる気がなくてもやれる地力が備わっていればの話です。

その地力がないと、やる気はずっと出てこないもんですから。

 

次に僕を動かす原動力は
やる気のない時に仕事をする方法、
「これをやらないと柔道に行っちゃダメ」です。

文字にすると、大人が子どもに言い聞かせる文言ですね。

 

もしくは
もうすぐ試合。
「試合について行きたいから、パートさんたちのシフトづくりを終わらせる」

僕の職場は古い風呂屋だから、シャワーだとかカランがよく止まらなくなるんです。
サウナの電球が切れるんです。
そんな故障が突然出るので、柔道の練習へ行く前に必ず終わらせる(ようにしている)。

だって、
この仕事のおかげで、この地域に道場をつくることができたのだから。
この仕事のおかげで熊本へ帰ってこられたのだから。

仕事が第一です。

 

仕事を第一として柔道をすること

小中学生の道場生に自ら胸を貸す(撮影:丸井 乙生)

これは、この田舎町で柔道、柔術をする、
子供たちと一緒に育ち合いながら柔道をするには
僕が働いていたほうがいい。

子どもたちと接する日々の中で、いつか節目となる日が来ると思うのです。

ほとんどの人の柔道の夢はかないません。
夢、絶対にかなわないもの。
それに挑む子ども。
かなえるんです。

毎日、何かを突破しようと頑張る子どもたちに柔道だけしていればいい。
そんな教えは見せられない。
柔道をしていても「自分の夢」とは何なのか。まだ、決めかねている子もいると思います。

やることが決まってない子はまず勉強。
やる意味が分かんなくてもまず、勉強。
そして、柔道。

そんな当たり前の教えではなく。

夢がかなっても、頑張れなくてかなわなくて柔道を辞める日が来た時に
「柔道だけはやめない気持ちづくり」を育てています。

何があっても柔道だけはやめない覚悟。
これを教えたい。

 

心を正すにはやっぱり柔道だった

道場の子どもたちから「先生」と慕われている(撮影:丸井 乙生)

だから、
僕は風呂屋に心から感謝しています。

風呂屋という仕事が夢だったわけではない。
ただ、出会っただけ。

仕事なんて何でも良い。

なぜならば僕はチャンピオンだから。
その前に内柴正人。
僕の父、内柴孝の息子だからです。
何にでもなれる。

そういう思いがあります。

もちろん、辞めたい時はありました。
今も、道場が盛り上がるにつれて
監督である妻・寿子さんの荷が重くなる姿を見ると、何を差し置いても手伝いたくなります。

慣れて来た仕事を辞めてでも柔道をする。そんなバカな考えが浮びます。
でもね、
それを正す時はやっぱり柔道です。

道場はどこにあるのか。
子どもたちはこの地域の子どもたち(柔術クラスのみなさんもそう)。

この地域にこの仕事があったおかげで僕はここにいるのだから
やめるわけにはいかないのです。

今では、「俺は“うんこ製造機”にはならない」とは思わないようになった柔道との向き合い方ですが、柔道は好きなのでしょう。

 

柔道が好きではなかった現役時代

道場生とともに試合映像を見つめる内柴氏(撮影:丸井 乙生)

現役の頃は、柔道は「好き」ではなかった。
恨むほどの思いでした。
試合はいつも負けと勝ちしかない。
減量、日々のノルマ。
ノルマに頼って強度が少しでも落ちたトレーニングをしていた時は「負け」るんです。

毎日、ヒリヒリしていました。
切羽詰まっていました。


今、切羽詰まる時はね。
風呂の修理でどうしても夜中にやるしかないことがあるのですが
故障の仕方がいつも同じではなく、何をやっても直らない時に
夜がふけて、朝が見えてきた時に
お店のオープン時間に間に合うかどうか分からない時はヒリヒリします。

直すんですけどね。

風呂屋の閉店時間。
ボイラーが止まり、ポンプが止まり、ブロア(泡風呂の機械)も止まり、
深夜清掃のみなさんが頑張っている間に基本、直しきろうとするのですが直らない。

刻々と過ぎていく時間。
一定の温度を保つためにボイラーが再スタートする音。
ポンプが朝に向けて回り始める音。

それらが鳴り始めたら作業をやめないとなりません。
むしろ、ボイラーやポンプを止めて
翌日の風呂のお湯を準備せずに修理をしてからつけないと機械室は大変なことになります。

そんなヒリヒリ、ヒヤリする時がたまにあります。

ボーッとできる時はその何倍もあるものですが。
そのスキマ時間に柔道のための頑張りをすることはもうしていません。

毎日、仕事のスキマ時間に柔道をしており、忙しく見えがちですが、
実は落ち着いております。

みなさんも、仕事と趣味は当たり前にしなくてはなりませんからね。
それが“演技”だとしても、好きでしている仕事でも嫌な時間はあるものです。

 

(内柴 正人)

 

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◆内柴道場「EDGE&AXIS」公式HP

uchishiba-dojo.com

 

◆EDGE&AXIS 公式ショップ

umhy171911.base.shop

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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