【連載「生きる理由」102】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「熊本に道場をつくった話」③~道場は妻へのプレゼント

指導するまなざしは真剣(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「熊本に道場をつくった話」③。

夫人が中心となって、熊本県内にこのほど柔道場が完成した。
倉庫を借り、道場生とその保護者たちが総出で作り上げたもの。

なぜ道場をつくる気持ちになったのか。
その理由をつづる。

 

 

 

道場のない僕の元を訪ねる柔道選手

柔術マットを敷いた〝プチ道場〟時代、学生が弟子入り。以来、数年にわたって通い続けている(写真:本人提供)

キルギス共和国に呼ばれたり
それを辞めて風呂屋になったにもかかわらず、いろんな選手が風呂屋を訪れてくれました。

みんな、それぞれの悩みを抱えています。

また、
悩んでないなら僕のところに来ません。

ある程度、気持ちが分かる。
全部分かる人もいれば
「そりゃ強くならんわ」とお手上げの人もいる。

最近、
僕の勤める会社にバイトで入って柔道をしたい。
そんなふうに言って、すでに来てしまった人がいます。

 

現役選手お断り

柔道指導を再開した頃。2021年(写真:本人提供)

僕には、会社の休みがないんです。
なので、現役選手を相手する時間がない。

遊びで週1、柔術タイム。
柔道キッズを相手するくらいなら出来ます。

しかし、
勝負をかけた選手を受け入れるなんて、そんな大変なことは困るんです。
――受け入れたんですけど。

理由。
ここで生活をして目標を達成したい。

うーん。

受け入れたのです。

 

「プチ道場」を引っ越した

柔道指導を始めた頃の練習バッグ。柔道も、柔術の茶帯を締める(写真:本人提供)

同じく
会社
風呂屋のロビーの一角で、柔道ごっこをしていた夏がありました。

この夏の反動がありました。

一日中仕事。
一日中だから当然、休憩は取るものです。
その休憩時間に、選手に対して柔道のアドバイスをしていました。

最近、
休み時間でも柔道は遠慮してくれ、という話を上席からもらいました。


僕のいいところは、そういう時にすぐに反応良く従うところ。
いくらか言い返しもしましたけど
僕の会社ではないし、
この夏、とても良い夏を過ごさせていただいたので
感謝を込めてロビーにあった畳、トレーニング器具、漁師の友達からもらったロープ。
全部、会社の敷地から引っ越しました。

沢山の荷物

一個人、一般人になった人間の持ち物の量と考えると、笑っちゃうくらい物が多い。

2トンのトラックで何回も往復して次の場所に移しました。

この地域に住んでいる子どもたちのご両親もトラック持参で、
工務店を営む方は仕事用の車で来てくれました。

 

道場をつくる

道場をつくって、そこでやろうではないか。

会社での柔道を遠慮する。
当然のことなのです。
風呂屋ですから。
風呂屋で柔道してる人なんて見たこともありません。

でも、
僕のポケットからはいつでも柔道を出すことはできます。
柔術は出てきません。
分かんないんす。

しかし、
柔術チームの看板は持っています。
本家は神奈川県にある「アラバンカ柔術」。

山田先生からもらいました(笑笑)。

 

道場は妻へのプレゼント

完成した「内柴道場」(写真:本人提供)

もう、会社では柔道はしないけれど、
自分の道場をつくり、そこで休みを使って柔道をする。

プライベートで釣りをする場所は海や川。
キャンプは山がいい。
柔道、柔術は道場がいい。

仕事はする。
みなさんと同じです。

そして、
僕の奥さんは柔道選手でした。
インターハイ2位。
そんなことより、僕の柔道スタイルを学ぶ一番弟子。

妻へ柔道をする場所をプレゼントしたい思いで、今回は柔道場をつくります。


(内柴 正人=この項つづく)

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

 

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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