【連載「生きる理由」13】柔道金メダリスト・内柴正人氏 慣れない仕事に立ち向かう心構えとは

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現在も、仕事の合間を縫って柔術の練習を続ける内柴正人氏(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。 

17年9月の出所から現在の仕事に就くまでの数年間、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。

内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「慣れない仕事に立ち向かう心構え」前編。

 

 

山のような仕事…頑張れ、俺

久しぶりの休みを堪能しています。4月に入ってすぐ、僕は休みを取りました。まとまったお休みは12カ月ぶり。今の会社に入って仕事ばかりで、休みと言える休みがなかなかなかなか取れていなかったのです。 

そんな僕を家族は心配しています。僕が柔道を辞めてまでして入った会社。自分がいる会社を家族に嫌いになって欲しくない。 

一方で、僕にも焦りはある。この仕事は毎日の掃除、温泉タンクや機械の管理、修理に至るまで、会社の方針でマネジャーの僕が自分でやる。分からないことばかりで、調べ物が苦手な僕は答えを見つけ出せない日々でもある。できる仕事だけでもたんまり。1日分が1日で終わらないくらいある。何が一番しんどいか。やっぱり1人の作業時間が長いことかな。そんな毎日(仕事があるだけマシではないか⁉)、頑張れ、俺。  

 

柔道時代の「付け人」基準とは

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キルギス共和国の柔道総監督時代、合宿で自ら整理整頓する内柴正人氏

(撮影:丸井 乙生)

柔道時代に常日頃、学生の打ち込みパートナーに言っていたことがあります。

「お前が見れない世界を俺が見せてやる」

だから、付け人は学生の選手組にすら絶対に入れない学生に必ずついてもらっていました。本当なら、ある程度強い選手組に付いてもらう方が何倍も自分を仕上げやすい。ただ、二つの理由から付け人に強い学生を付けませんでした。 

 

一つは、選手クラスの学生には、人の面倒を見るくらいなら自分のトレーニングをして欲しいから。 

もう一つあります。大学にまで来て選手になれない学生は、特待生で入ってきた選手ではなく、そこから大学4年間で下克上のごとく校内予選を勝ち上がって大学を代表する選手には、絶対になれない。

明らかに選手からこぼれている学生について、学校側は部活に閉じ込めて、ルールで固めて使い、パシリをさせる人間としか思っていない、と感じていました。親が学費や生活費を払う子に限って、練習時間に練習出来ないという現実があったんです。  

  

柔道で言えば”質が伴う練習になっていない”

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キルギス共和国の柔道総監督時代、雑巾がけの最中に事務連絡の電話がたびたび鳴っていた

(撮影:丸井 乙生)

僕は社会人になってからもOBとして大学で練習していて、学生時代から厳しいと言われる大学の練習をこなしつつ、自分が勝つために必要と思われるトレーニングは時間外でしこたまやってきました。それを「わがままだ、自分勝手だ」と言われたこともありましたが、チームで一番頑張った練習をした上で自主トレーニングまでやるものだから、そのうち先輩や先生ですら文句は言えないOBとなっていました。

 

だから、人を囲って使いまくる先輩の下についていた学生を、僕の付け人にしていました。それでも救えない学生は山ほどいたけれど、ただ使われて終わるはずだった学生生活を僕と過ごした学生は何かしら影響を受けたと思ってもいます。あの時、たくさんの後輩を助けていたのに、今は一切音沙汰ないという現実もありますが――。

 

そんなこだわりもあり。今の仕事に対しても同じで、休めないほどの仕事がある、と言う僕。周りにもそう見えてるらしい。だけど、これを簡単に言うなら、中身のない量だけの練習をひたすらしているだけで質が伴ってないとも言えると思うのです。

(この項つづく)

  

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。