【連載「生きる理由」12】柔道金メダリスト・内柴正人氏 働き始めた訳とは

内柴正人

2018年春、キルギス共和国の監督として出発する前の内柴正人氏。当時は柔術ジムに住み込んでいた(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。 

17年9月の出所から現在の仕事に就くまでの数年間、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「今の仕事を始めるまで」編の最終回、投資家のもとを離れて柔術ジムに入門してからについて。

 

 

柔術ジムに住み込み~僕を特別扱いしなかった

アラバンカ 内柴正人

住み込んでいた「アラバンカ柔術アカデミー」の看板。2020年に茶帯に昇段した内柴氏のもとへ、21年になって師匠から送られてきた(写真:本人提供)

住まいは先生の自宅の一室。稼ぎはなし。住み込みです。稼ぎがないので、先生の奥さんにごはんを作ってもらっていました。とても面倒見の良い柔術ジム、先生家族。車も1台貸してもらい、ガソリン代も出してもらい。いろんな物事を与えてもらいました。 

久しぶりに毎日の練習。練習後に集まって、毎日柔術談議。柔術で世界に行って、ゆくゆくは僕を格闘技の大会に出すことが先生の考えでした。

毎日、楽しかったですね。そんな練習ばかりな毎日の中で、チームメイトは昼間は仕事でジムにいないのです。だから、独りで走る。ジムで、独りでバーベルを担ぐ。寂しく鍛える時間もありました。昔のように。

 

この時間が欲しかった。今は仕事ばかりで、こんな素敵な時間を過ごすことは出来ないのだけど、あの頃はこうして自分が普通に働けるとは思えなかった。

世間に出て何が出来る。履歴書を書いて、就職のために面接して回って、果たしてどこに受かるのか。不安しかありませんでした。

そして、過去を詮索されるのも正直、嫌でした。言い訳もしたくない。聞かれたくもない。また、僕のことをオリンピック・チャンピオンだという目で見られるのも嫌だったので、特別扱いしないところへ自然と流れ着いたのかも知れません。  

 

今度は仕事で24時間態勢に

内柴正人

2018年に監督契約のため、初めてキルギス共和国に行った時に大歓迎を受けた。前列中央が内柴氏(写真:本人提供)

この柔術ジム、「アラバンカ柔術アカデミー」というのですが、そこの師匠、山田重孝先生は「ウッちゃんは柔道に帰るべき!」といきなりキルギス共和国に一緒に行くことにしたり、僕のその国の監督としての契約を結んでしまったり、面白い先生なのです。

僕は自分の強い意志は持ってるのですが、基本的にはアドバイスをくれる人が勧めたことには何でもトライしますし、そうしてきました。そして、今となってはいろんなからから、チャレンジする物事への誘いが来るようになりました。 

 

今働いている風呂屋もそうですし、格闘技のクインテットや柔術の試合。まだまだやりたいこともありました。でも、それを仕事をしながらやる気力がないことを最近知りました。歳を取ったのかもしれません。 

若い頃はこう思っていました。「みんなが大切にしている“やらなくてはならないこと=仕事“は誰かがやるであろう。俺は俺にしかできないことをやる」。そんな考えが、今も浮かんでは消え、消えては浮かびます。 

例えば「この仕事、俺がやらない方がうまくいく作業だな」。フロントに立っていれば「ああ、トレーニングしたい」――と思うんだけど、この生活も続けていけば力になり、トレーニングをする時間も、試合に出る時間も作れるのではないか? そんなふうに考えています。

  

働き始めた理由

さて、なぜ今、落ち着いて働いているのかについてです。

世間に帰ってきた時に、ふらっと練習に行ける道場がなかったのです。どこも出入り禁止になっているらしく。今もそれは出入り禁止だと思うんです。確認はしていませんが、そんな噂ばっかりだったので。 

この先、生きていくにあたってそれは寂しいなあと思い、ふらりふらりと地元の熊本を離れ、柔術をしたり、行きたいと思っていなかった海外にも行って柔道をして、2020年はグラップリングの試合に呼んでいただいて、選手として戦ってみました。

 

行き着く先は仕事なのは分かっているし、仕事だけをやり通す人生も素晴らしいけれど、プラス生きがいをほかに持って過ごす価値を知っている僕は、生きる幅を広げる活動に少し年数を使った、という話でした。 

本当はまだまだ柔術もしたいし、グラップリングもやりたい。もちろん柔道も。そのために今、行き着いたこの仕事を頑張りつつ、社会人していく気持ちでいます。

  

いつか来る日に向かって 

内柴正人

2021年3月、社宅に自力で風呂を増設中(写真:本人提供)

この仕事を始めて1年が経ち、作業中にクタクタになり、それでも練習をする日がちょびっとあり。練習をした日には、練習の間に不在にしてスタッフに迷惑かける罪悪感を感じる日々ではありますが、いつか胸を張って「練習行ってくるね」と言える日が来るかもしれない、と仕事を頑張っております。 

内柴正人

自宅風呂の増設は図面を読みながら悪戦苦闘中(写真:本人提供)

やりたいことを当たり前に出来る環境。柔道時代に長く持っていた考え方ですが、「環境は作るもの」。これだけは今も同じだと思っています。 

いつか来るかもしれない。そんな期待をしながら、今月は自分の住む社宅に自力で風呂を作ってます。 

(内柴 正人=この項おわり)

   

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。 

 

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