2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。
17年9月の出所から現在の仕事に就くまでの数年間、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、「初めて経験する仕事との向き合い方」について前編。
激動の1年
風呂屋になって1年と数カ月経ちました。入社と共に世界的な病気のまん延、オリンピックの延期。熊本南部の災害があったり、店はめちゃめちゃ暇になったり大忙しになったり、大変な1年だったように思います。
個人的にも、経験したことがない業務のことは何も知らないので、答えを探すところから始まり、分からないことは分からないままになってしまったり。分かることですら、嫌になったりもしていました。
ズブの素人からスタート
というのも、この店舗は僕が来る以前は責任者が何カ月も不在の状態であり、数カ月前に後任を引き継いだ責任者は僕が来る前にいなくなる、という大変な状態にありました。
そこに、まったくの素人の僕が来たもんで、責任者としての仕事は僕がやるしかないのに、肝心の僕は何も分からない状態にありました。接客などは経験のあるスタッフが当たり前にしてくれるのですが、風呂屋の要である風呂の管理なんて僕はズブの素人。他店舗にいる他の責任者に毎日聞くも、配電盤が分からない。配電盤にしても、奥の配電盤、手前の配電盤……いろいろあるわけで、アドバイスをされても最初はさっぱりなのでした。
経験を積むことで対応の幅が広がる
例えば今さっき、「男湯のシャワーが出ない」と言われました。
「出ない?」
これは大ごと。一瞬、あわてて機械室に行き、ミキシングをいじりましたが、温度が上がらない。ああ、掛け湯の湯量が絞られてるのかな?
結果、シャワーのお湯は出ていて、温度が少し低いだけでした。
ここの風呂屋のお湯のシステムをすべて分かっているわけではないけれど、掛け湯の湯量を絞り過ぎると、給湯の方の温度が少し下がるということは経験から得て徐々に分かってきました。
伝えに来てくれたスタッフの言葉通りに受け止めれば、お湯が出ないなんて大変な報告は僕にとって地獄の始まりでもあります。これまで、タンクから水が噴き出して朝を迎えたことも、それこそシャワーのお湯が出ない昼も経験しました。それでも、案外あわてないもので「風呂屋って面白いな」なんて前向きにとらえながら応急処置をして、本格的な修理をする為に必要な部品をそろえるようになりました。
1年経って「どうにかできる」に変化
ここの作業の大変なこと、第1位は「毎回、修理するところに人間の入るスペースがないこと」。第2位は「だいたいが1人作業」。先日は風呂に入れる薬が常に一定量が入るように、ポンプに接続されている部分の修理をする時に、人に相談しました。「作業の場所がない」と言ってみると、そのような仕事専門でやられてる方からすると、やっぱりどこも狭いらしい。
やるしかない。僕がやらなきゃ誰もやらないわけで。業者さんという専門会社を呼べば簡単なのですが、何でも自分で直すことが社訓なのでやるしかない。
でも、たとえ知らないことに対処しなければいけないとしても。
昨年は泣きが入ったことであっても、今はどうにかできる気持ちを持てるようになりました。
(内柴正人)
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うちしば・まさと
1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。
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