日本体操男子のエースが、3冠を達成した。
1960年ローマ五輪で、小野喬は、体操男子団体で悲願の金メダルを獲得、鉄棒で連覇、跳馬でも接戦の末金メダルを獲得し、3つの金メダルを日本に持ち帰った。
団体の前に行われた個人総合では、大技を回避し銀メダル、さらに銅メダルも2つ獲得している。
夏季大会4大会連続でのメダル獲得は日本人男子で最多、さらに五輪で獲得したメダルの総数13個は日本人最多の記録で、未だ破られていない。
金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
個人総合は2大会連続で銀メダル・団体金にかけた
最優先は団体競技だった。
体調が優れなかった小野は、個人総合では大技を回避、結果2大会連続の銀メダルで終わった。56年メルボルン五輪の悔しさを晴らしたいという想いは少なからずあったはずだが、無理をせず、だが精一杯に成果を出し切った結果の銀メダルだった。
そして団体での金メダル獲得に貢献。肩の荷が降りた小野は、自分の種目別に全身全霊で挑んだ。
跳馬:なんと同点!2人で金メダル
まずは跳馬で、ソ連の2選手と激しいメダル争いを繰り広げた。
小野は、2回とも力強い踏み切りから倒立で回転するように跳び越え、19.350点で2人の結果待ちとなった。
2人のライバルのうち、ポルトニーは2回ともミス、シャハリンが2回目に9.800以上を出せば逆転されるという状況に。
だが結果はなんと9.600点で同点、小野とシャハリンの金メダル同時受賞となった。
鉄棒:圧勝で銅像も立った!「鬼に金棒、小野に鉄棒」
連覇がかかった鉄棒では、圧勝で金メダルを獲得した。
背面車輪から方向転換し、得意技のひねり飛び越し、フィニッシュは四肢を伸ばす「伸身飛び越し降り」で着地を決めた。
得点は9.800、圧巻の演技に観客から熱い拍手が送られた。
この頃「鬼に金棒、小野に鉄棒」という名言が誕生したとか。
52年のヘルシンキ五輪で銅メダルを獲得して以来、60年ローマ五輪まで通算で4個の金メダルを含む12個のメダルを獲得した。
地元・秋田県能代市には、4年後の東京大会を待たずして、当時の市民体育館前に小野銅像が建立されるほど、日本中の注目の的であった。
そして日本選手団主将を務め、選手宣誓も行なった64年東京五輪で、最後の金メダルを…その話はまたの機会に。
(mimiyori編集部)