【五輪金メダリスト連載】日本男子最後の自由形金メダリスト 1936年ベルリン五輪競泳1500メートル 寺田登

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三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

1936年ベルリン五輪・競泳1500メートル自由形で、寺田登は2位に20秒近い差をつけて圧勝、金メダルを獲得した。身長163センチのずんぐり体型で、海外の選手らを抑え圧勝する姿に、日本人は興奮したに違いない。

寺田をここまで導いたのは、水泳王国・静岡の先輩で、同じく自由形を専門とする牧野正蔵だった。五輪の金メダルだけはかなわなかった牧野の悲願を、愛弟子・寺田がベルリンで見事達成した。

 

金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。

 

  

36年寺田以来金メダルなし!

自由形で金メダルを獲得した最後の日本人男子。1936年ベルリン五輪の寺田登だ。

日本では、水泳は五輪の目玉競技。たくさんのメダルが期待され、獲得し、発展してきた。ただ、男子自由形だけが85年前で時が止まっているのだ。

 

幻の金メダリストとなった寺田は、さぞや素晴らしい肉体の持ち主なのだろうと思いきや、表彰式の写真からは左右の2人よりひときわ小さく、しかし肉づきの良い寺田が見て取れる。

身長163センチ、筋肉が発達したずんぐり体型で、現代の引き締まった競泳選手を見慣れている私たちにとって、理想の金メダリスト像とは異なっているかもしれない。

だが、この水泳選手らしからぬ愛嬌のある体型、さらには常に楽しそうに泳ぐ陽気な人柄が強さの秘けつだった。

 

水泳王国・静岡 牧野正蔵との出会い

生まれ故郷、静岡県は当時水泳の本場として知られ、数々の名スイマーが誕生した。寺田は旧制中学で、のちに32年ロサンゼルス五輪、36年ベルリン五輪でメダルを獲得する2個上の先輩・牧野正蔵と出会う。

ともに自由形が専門とあって、ライバルながら牧野は後輩・寺田の指導役を買って出る。

牧野と切磋琢磨し成長を遂げた寺田は、中学4、5年次に全国中学水泳大会の400、800メートル自由形を連覇した。

慶大進学後は長距離選手として成長を遂げたが、練習で苦しいという言葉を発したことはなかったという。

 

牧野の無念 世界記録保持者でもかなわぬ五輪金

牧野は寺田より一足先に五輪に出場した。32年ロス五輪。牧野は1500メートル自由形で北村久寿雄に次ぐ銀メダルを獲得するも、念願の金メダルはかなわず。

36年ベルリン五輪でも、牧野は400メートル自由形で銅メダルに終わった。自由形で何度も世界新記録を樹立してもなお、五輪金メダルへの壁は高かった。

 

愛弟子が師匠のかたきを討つ!

そんな先輩の背中を見た寺田は、先輩の唯一の無念を胸に、五輪決勝の舞台に立った。

36年ベルリン五輪・1500メートル自由形決勝。スタートから飛び出した寺田は、圧巻の泳ぎを見せ、400メートル自由形で金メダルを獲得した米国のメディカに20秒近い差をつけ、圧勝した。先輩、いや師匠と一緒に獲得した金メダルだった。

 

この決勝では寺田の1位に続き、鵜藤俊平が3位に入り、2大会連続で日本人が表彰台の3分の2を独占した。この頃が日本男子自由形の黄金期であった…とはまだ言いたくない。いずれ再来するであろう男子自由形の隆盛に期待だ。 

(mimiyori編集部)

 

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