日本人選手で五輪金メダル獲得の最年少記録は?と聞かれた時、女子は思い浮かんでも、男子はなかなか思い浮かばない。
言うまでもなく、岩崎恭子さんが14歳と6日の若さで、1992年バルセロナ五輪競泳200メートル平泳ぎで金メダルに輝いたことをご存知の方は多いだろう。
岩崎さんからさかのぼること60年前、1932年ロサンゼルス五輪。
14歳10カ月の男の子が金メダルを獲得したのも、競泳だった。
その時、北村久寿雄が残した日本男子の五輪金メダル最年少記録は、今現在も前人未踏の大記録だ。
日本における夏季五輪142個の金メダルについて書ききる本連載、今回はあどけない少年が金メダルを獲得したエピソードについて。
高知からロスへ!丸刈り頭で乗り込んだ
丸刈り頭の14歳。試合前、まだあどけない雰囲気の少年が優勝するとは、誰も予想できなかったに違いない。
高知商に通う、ごく普通の少年は1932年の夏、ロサンゼルスにいた。
ロスはロスでも、舞台は五輪競泳男子1500メートル自由形決勝。
体格でも気迫でも経験でも、北村に勝る人は大勢いたに違いない。
しかし、号砲が鳴ったらどれもこれも関係ない。
一発勝負の幕が上がった。
19分12秒の死闘で金メダル
300メートルを泳いでトップに躍り出たのは北村だった。
その後1000メートル時点では、後続に大差をつけて2番手の牧野正蔵と独走状態。
そしてラストスパートで、一気に突き放した。
結果は、当時の五輪記録を40秒近く縮める19分12秒4で圧勝。
14歳10カ月での金メダル獲得は、当時の世界最年少記録、そして現在の日本男子の最年少記録となった。
米国の水泳王国化は北村の影響⁉
その影響は大きかった。
ロス五輪以降、北村の泳ぎが刺激となり、米国は10代選手を集中的に強化するようになったとか。
米国を水泳王国にした背景は、北村の優勝がきっかけだったといっても過言ではない。
競泳の次は勉学!京大から東大へ
当の北村は、水泳王国としての覇権を巡った壮大なバトルの引き金となったことも知らず、勉学に励んでいた。
14歳で世界を制した男は怖いもの知らず、水泳の次には学びを極め、現在の京都大学に入学、その後東京大学にも進学した。
後に国際労働機関(ILO)日本政府代表部一等書記官や民間企業の重役も務めるほどの大物となったが、その背景には日本水泳連盟会長の教えがあった。
「たかが泳ぎ。人生全体から考えると、ほんの一部に過ぎない。勉学に努めてください。」
現代でいう中学生が、一躍有名人となり、てんぐになってもおかしくなかった。
しかし、当時の水泳連盟・末弘厳太郎会長の戒めを胸に、日本水泳界のみならず、経済界の発展にも寄与した功績は計り知れない。
(mimiyori編集部)