【パラスポーツ】”水のプリンセス”が新たな旅路へ パラ水泳元日本代表の一ノ瀬メイが現役引退

一ノ瀬メイ

一ノ瀬メイ(左)と近大水上競技部監督・山本貴司(右=写真:報道資料より)

2016年リオパラリンピックの水泳日本代表・一ノ瀬メイがこのほど、21年10月31日をもって現役を引退することを発表した。同日付で勤務する近畿大学スポーツ振興センターを退職する。

水泳でできることはやり尽くしたという思いから、今後は競技を離れ、さまざまな活動を通して社会から「障害」をなくす取り組みを続ける予定だ。

 

 

16年リオパラリンピック初出場で脚光

一ノ瀬メイ

現役引退を決めた一ノ瀬メイ(写真:報道資料より)

“水のプリンセス”が新たな世界へ泳ぎ出す。

2016年リオパラリンピックの水泳日本代表・一ノ瀬が21年10月29日、同10月31日で現役を引退することを勤務先の近大(大阪・東大阪市)で発表した。

1歳半から水泳をスタートし、9歳からパラリンピックを目指し始めた。10年に史上最年少でアジア大会に出場し、50m自由形(S9)で銀メダルを獲得。21年10月現在も、7種目で日本記録を保持している。

 

先天性右前腕欠損症で、腕が短いことでスイミングクラブの入門を断られたことがある。悔しい経験から自分を守るために水泳をしていたこともあった。しかし、2012年ロンドンパラリンピック代表を逃したことで心境に変化が起こったという。

「人との違いやマイノリティを抱えて社会で生きづらさを感じている人を守るために泳ぎたいという思いに変わりました」

結果を残すことが自分の発信力を高め、社会の変化につながる。そう信じて競技を続け、高校卒業後は近大水上競技部に入部した。96年アトランタ五輪から3大会連続出場、04年アテネ五輪200メートルバタフライ銀メダリストの山本貴司監督に師事。16年リオパラリンピックでは初代表の座をつかみ、8種目に出場した。

大会から放映されたCMでは、練習するプールをのぞきこむ子どもにVサイン。そのはつらつとした当時19歳の笑顔が評判となり、リオ大会では注目選手となった。

 

社会から「障害」をなくしたい

パラリンピックを目指し始めた当時、周りではほとんどがパラを知らないという状況だった。しかし、今のようにパラ全体の認知度が上がっていったことで、「社会は変えられる」という思いが強くなった。

今後も社会から「障害」をなくすための取り組みを続けるという。

「水泳でできることはやり尽くしたという思いから、その手段は手放す決断をしましたが、今後も活動の目的や意志は変わりません。これからも皆さんと一緒に、すべての人にとって心地よい社会づくりをしていけたらと思います」

(mimiyori編集部)

 

※「障害」表記については近年、「障がい」と記す場合がメディアでは主流となっております。しかしながら、一ノ瀬メイ選手は〝害があるのは、差別をする社会の方である〟という理由から、ひらがな表記に反対されています。今回、一ノ瀬選手の引退記事の執筆にあたり、当編集部ではご本人の意向を尊重して「障害」表記といたしました。さまざまなご意見、お考えがある中で、編集部としても模索しながら進んで参ります。

 

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