全国高校ラグビー大会がきょう27日、東大阪市の花園ラグビー場で開幕する。
25年連続27回目の出場を果たす仙台育英(宮城)は、1990年に就任した名物指揮官・丹野博太監督(ひろたか=55)が2020年度限りで勇退する。
2000年度から2大会連続4強入りへ導くなど全国大会常連校に育て上げた名将。
有終の美を飾るべく、まずはきょう27日に富山第一(富山)戦に臨み、30日2回戦も勝ち上がれば、2021年1月1日に8強入りをかけて前年度覇者・桐蔭学園(神奈川)と激突する。
前編は勇退する丹野監督、そしてOBで花園初の外国人留学生だったニ―ルソン武蓮傳(ぶれんでん)ヘッドコーチ(HC=42)の歩みについて。
- 100回大会/25年連続出場を区切りに
- 高校野球の名将から指導のアドバイス
- 花園初の外国人留学生選手に監督を託す
- 丹野監督には「ラグビー道を教えてもらった」
- 「人を育てる」を実現
- 「武蓮傳はすごい監督になると思います」
100回大会/25年連続出場を区切りに
丸30年。仙台育英ラグビー部を全国の強豪校に育てた名物監督が、今回の花園を最後に退任する。1990年の着任以来、走り続けてきた丹野博太監督だ。
「100回大会ですし、25年連続で花園に行かせていただけたことで、区切りの数字としてもいいかなと。後進もいますので、監督という立場は最後にするつもりです」
高校野球の名将から指導のアドバイス
丹野監督は、花園で出場68回、優勝15回といずれも最多記録を誇る秋田工(秋田)出身。フランカーを務め、日体大を経て仙台育英に体育教師として着任した。
はじめは部をまとめること自体に苦労した。
そんな時に背中を押してくれた人物がいた。当時仙台育英の硬式野球部を率いていた竹田利秋氏だ。
竹田氏は同校を含め長年の監督生活で通算春夏27回の甲子園出場に導いた名指導者。「いい人を集めることだけじゃなく、学校生活をちゃんとさせることだよ」と教えられた。
また、学園の加藤雄彦理事長からも生徒の生活指導の重要性をたびたび説かれ、2000年度から2大会連続4強入りを果たす基盤をつくることができた。
花園初の外国人留学生選手に監督を託す
1994年度大会で花園初出場を果たした。
その時の主力選手に、花園初の外国人留学生がいた。次期監督に就任するニ―ルソン武蓮傳(ぶれんでん)HCだ。
武蓮傳HCは93年1月に来日し、高2の時はFWとして18年ぶり2回目の花園出場に貢献した。当時は「助っ人ガイジン」と呼ばれ、丹野監督のもとには批判の電話がたびたびかかってきた。「そんなやり方で勝ってうれしいのか」と言われたこともあった。
武蓮傳HCはのちに流経大に進み、U23日本代表にも選出された。NECグリーンロケッツなどでプレーし、06年に日本国籍を取得、現在の名前に改名した。
2015年から仙台育英のコーチに就任し、社会科の教師に。2019年度には高校日本代表のコーチに指名された。
丹野監督には「ラグビー道を教えてもらった」
武蓮傳HCは2015年4月のコーチ就任当初について「懐かしかったです。高校時代に教わった先生たちもいたので、まるで生徒のような気分でした」と笑顔で振り返った。
高校時代は違う文化に戸惑ったこともあったが、父が礼儀に厳しかったこともあり、徐々に順応。丹野監督には「“ラグビー道”を教えてもらった」という。
来日当時は学校以外の人々から心ない言葉を言われたこともあったが、ニュージーランド(NZ)では日本に好印象を持っている人が多かったとか。
「NZでは90年代の前半、香港セブンズに出場した日本代表を応援している人が多かったんです。そこで興味を持って、日本へ選手が来るようになった。日本で暮らす中でみんな焼き鳥やラーメンを好きになる。母国に帰った時に、それを話すということが繰り返されるうちに、NZのラグビー界では日本が人気になったんですよ」
「人を育てる」を実現
武蓮傳HCのまじめで実直な人柄は、いわば日本人よりも日本的だ。
部員が脱いだジャージーを雑に置いていると、「これを見た人は君たちのことをどう思うか。あすからこういうことがないように」と指導する。
丹野監督は「例えば部室が散らかっていたら、練習前に掃除をさせることもある。高校生の時から日本にいるせいか、そこをちゃんと分かっている」とうなずく。
コーチ陣では武蓮傳HCだけでなく、明大―サントリーの鈴木亮大郎FWコーチもOB。丹野監督は指導者としての最終形「人を育てる」ことも実現した。
「武蓮傳はすごい監督になると思います」
2019年W杯では、日本代表31人のうち15人が海外出身だった。ニュージーランド出身で花園に3度出場したリーチ マイケルが主将を務め、「ONE TEAM」を合言葉に史上初の8強に進出。日本中が熱狂した。
丹野監督は感慨を持って振り返る。
「すごく変わったなあと思いますよ。(94年度大会当時は)“助っ人ガイジン”と呼ばれて。『いや、“外国人留学生”でしょう?』と思っていました。その武蓮傳に監督を任せる時が来た。彼は本当にラグビーの虫なんです。僕なんか比にならないくらいラグビーが好きで、ラグビーを研究している。武蓮傳がやりやすい環境の手助けはしていきたい。すごい監督になると思います」
今大会に向けて、全国の高校ラグビー部は苦難の道を歩んだ。
新型コロナウイルスが感染拡大した春先は、「密」を避けるためにスクラムを組む練習ができないなど悩ましい日々が続いたが、仙台育英では3年生たちが団結。感染防止のルールをしっかり守り、練習でも自覚が芽生えたという。
学校側もこれまで4人部屋だった寮を1人部屋に変更するなど、手探りしながら準備を重ねてきた。
(つづく=丸井 乙生)