【ビジネス】経営哲学=稲川素子社長 専業主婦から外国人タレント事務所の社長へ 人生100年時代を生き抜くヒント②

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稲川素子社長(写真:東洋経済/アフロ)

これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラム。今回は「稲川素子事務所」を運営する稲川素子社長について紹介する。

人生100年時代が到来した。「人生100年時代に人は80歳を過ぎても働く必要がある」とする経済学者の試算もあるが、すでに力強く実践している元専業主婦の女性創業者がいる。経営のノウハウがまったくないまま50歳で事務所設立。70歳で慶応大学を卒業し、72歳で東大大学院に入学した稲川素子は、86歳となった今やのべ145カ国以上、5200人以上のタレントを抱える芸能事務所社長。ピンク色の衣服に身を包み、華やかな世界をまい進しているようでいて、実は泥臭く地道な努力や、外国人タレントを扱う経営者ならではの苦労があった。

 

 

 

ルビー・モレノに振り回される

かつては、セイン・カミュやゾマホンなどが所属。現在は、プロゴルファーでカンボジア国籍のチャン・リナや、TBS系列「ここがヘンだよ日本人」レギュラーで日本テレビ系列「なんでもワールドランキング ネプ&イモトの世界番付」にも出演していたシモネなどが在籍している。アジア系タレントの中で、最も成功した例と言えるタレントが、フィリピン出身のルビー・モレノ。しかし、成功が大きかった分、苦労も大きかった。

ルビー・モレノは、92年のフジテレビドラマ「愛という名のもとに」のフィリピン人ホステス「JJ」役で一気に知名度を上げた。ブルーリボン賞最優秀主演女優賞などの映画賞を総なめにし、ヘアヌード写真集発売、度重なる仕事のドタキャンなどでも世間を騒がせた。未婚と称していたが、実は2度の離婚歴と2人の子どもがいて、年齢も実際より3歳若く公表していた。

金銭トラブル&ドタキャン連発で一時は契約解除

95年、相次ぐ金銭トラブルや仕事のすっぽかしに業を煮やした稲川は、ついにモレノとの契約を解除した。きっかけは、予定していた民放2時間ドラマの収録を直前になってキャンセルしたこと。当時モレノはフィリピンに帰国中で、稲川の再三の要請にも応じず日本に戻らなかった。モレノを準主役にしていた局側は激怒し、「モレノとの契約を続けるならば、稲川事務所とは二度と仕事をしない」と稲川に迫った。その他にもドタキャンが相次いでいたため、やむを得ない決断だった。

97年にモレノは芸能活動再開を求めて、東京簡易裁判所に調停を申し立てた。翌98年には和解が成立し、芸能活動を再開。稲川はドタキャンなどで迷惑をかけた仕事先を謝罪して回った。すでに当時のモレノには初挑戦のため舞台をはじめ、バラエティ番組や雑誌のグラビアなどの出演依頼が舞い込んでいた。

 

人身事故の後始末も担当した

ところが07年4月、モレノは運転中に人身事故を起こした。事故の処理のため、その日に出席予定だった映画の宣伝イベントを所属事務所に無断でドタキャンした。その場で事故について事務所に報告せず、その後の映画のPRイベントに定刻になっても現れなかったため。マネジャーが電話を入れてようやく事故が発覚した。

当時、稲川は雑誌記者に「許せますか?」と聞かれた際、「社会や取引先にお詫びをするので精一杯。それどころはない」と答えている。この1件を機にモレノは一線から遠ざかっていたが、16年にドラマ『コールドケース 迷宮事件簿』(WOWOW)に出演するなど芸能活動を再開。別の番組では、その昔、寒い中おなかをすかせて稲川の家に行くと、稲川の夫が中に入れてくれて、カレーを食べさせてくれたことが忘れられないというエピソードを語っている。

ブラジル人ダンサー失踪事件

他にも、ブラジル人ダンサーのジョアリ・アルメイダの失踪事件など、外国人タレントの事件簿には事欠かない。連続ドラマへの出演が決まったジョアリは、ロケ先のブラジルに旅立ったが、そのまま帰国せず。住んでいたアパートの大家を訪ねると、帰国を理由に部屋を解約していたという。稲川はブラジル大使館に飛び込んで捜索願を出したが、ブラジルは広く、結局見つからなかった。なす術もなく局へ謝罪に行くと、旧知のプロデューサーに「稲川さんでなければ、ただではおかないよ」と許してもらった。
(③につづく=mimiyori編集部)  

 

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