【競馬ブログ】「気まぐれウマ放談」 いつでもどこでも全力疾走~レッツゴードンキ

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15年桜花賞馬レッツゴードンキ。約5年4カ月の競走生活を全力で駆け抜けた(19年JBCレディスクラシック、撮影・おかだ)

こんにちは!
競馬ページ担当の おかだ です!

このページでは、競馬観戦歴10数年の、まだまだ勉強することばかりのファンが、競馬にまつわるあらゆる話題を気ままに書いていきます。

今回は2019年引退したレッツゴードンキを取り上げます。

通算36戦3勝(地方・海外含む)。勝ち星は少ないかもしれませんが、芝にダートに、どの競馬場でも常に全力で走る姿が印象的でした。

筆者は2歳時から応援していました。桜花賞で同馬の単勝馬券を買ったことは今でも忘れられません。もう1つG1を取ってほしかったという思いもありますが、7歳まで大きなケガなく、無事に引退を迎えられて何よりです。

3つの勝ち星以上に中身の濃かった競走生活を振り返ります。

 

 

 

 

最初で最後のG1勝利

14年8月、札幌競馬場の新馬戦でデビュー勝ち。デビュー戦の成績を見返してみると、ダート戦線で活躍するウェスタールンドの名前を見つけ、一緒に走っていた事実にびっくりしました。たまに過去成績を振り返ると意外な共演を発見できます。

それはさておき、2戦目の札幌2歳ステークス(G3)で3着。牡馬相手にも力が通用することを示した後は、同世代の牝馬トップクラスの1頭として重賞で善戦。2勝目を挙げられずにいましたが、重賞レースで賞金を加算、チューリップ賞(G3)で桜花賞(G1)の出走権を獲得。無事に牝馬クラシックへ駒を進めました。

桜花賞への優先出走権を懸けたチューリップ賞では、それまでの控える競馬から一転、逃げの手に出ました。結果は3着。思い切った競馬でしたが、本番につながる走りでした。

15年4月12日、桜花賞。単勝は5番人気でした。1番人気は牡馬を倒して無敗でG1に挑んだルージュバック。同馬は、いつも通り後方に待機して最後の直線に懸ける競馬に徹しました。

レッツゴードンキは、好スタートからゆったりと先頭に立って主導権を握ると、淡々とペースを刻んでいきました。2番手以降の馬が徐々に差を詰めてくる中、岩田康誠騎手の手応えも十分なまま最後の直線を迎えました。

後ろに控えた馬たちは必死に脚を伸ばしてきましたが、差は詰まりません。追い出されると逆に差を広げ、17頭を寄せ付けずにゴールへ飛び込んでいきました。

待望の2勝目はクラシック制覇という価値ある勝利でした。単勝1.6番の圧倒的人気を集めたルージュバックは、強烈な末脚が影を潜め9着に敗れました。

ちなみに筆者は福島競馬場で観戦。桜花賞の1つ前のレースが、芝コースで逃げ切り勝ちだったため、「また逃げれば今度は勝てる。ルージュバックは届かない」と思っていました。振り返ると、あまりに単純な考えだったと思いますが、現実になった瞬間は本当に驚きました。


距離を縮めても勝てない

2冠目のオークス(G1)は2400mと一気に距離延長。桜花賞の勝利もあって2番人気に推されましたが10着に大敗。3冠最後の秋華賞(G1)は18頭中17着。1600mを超えるレースは秋華賞が最後となりました。

ここから短距離路線にシフトしますが、結果が出ないまま4歳になりました。桜花賞以降、勝利がない中で迎えた16年6月の函館スプリントステークス(G3)、久しぶりに馬券圏内の3着に入りました。

続くキーンランドカップ(同)も3着。この頃には、かつての控える競馬に戻っていました。最後の直線になると、しっかりと脚を伸ばして前を追いかけていました。それでも、先頭でゴールすることはできません。

惜しい競馬を続けていましたが、同年10月のスプリンターズステークス(G1)は9着。長いトンネルを抜け出せないまま、次のレースとして選ばれたのは、ダート戦でした。


ダート挑戦/敗戦にピリオド

16年11月、JBCレディスクラシック(Jpn1)で初めて砂のレースに出走しました。結果は2着。相手はダート路線で活躍する牝馬ばかりでしたが、その中で結果を出せたことは、何かのきっかけになっていたのかもしれません。

続く同年12月のターコイズステークス(当時のグレードはG3格付け前の重賞)で2着。ようやく芝のレースでも勝利に近づくことができました。G1で敗れた中山競馬場のレースで、勝利とはいきませんでしたが、嫌なイメージを払拭できたようにも思われました。

そして、また1つ年を重ねて5歳になった17年初戦として2月の京都牝馬ステークス(G3)に出走。近走の成績が良かったことも影響したのでしょうか、2歳時以来となる単勝1番人気でレースを迎えました。

レース序盤は岩田騎手が手綱を引っ張る場面もありましたが、中団後方に控えて最後の直線まで我慢していました。第4コーナーから最後の直線に入るところで外から上がっていきます。直線では懸命に追い上げて、1完歩ずつ前との差を詰めていきます。残り200mを過ぎて前にいた馬を捉えると、約1年10ヵ月ぶりに先頭でゴール板を駆け抜けました。

やっとつかんだ3勝目をきっかけに、再びG1戦線でトップ争いを繰り広げました。続く高松宮記念(G1)で2着。ひと夏を越して、スプリンターズステークスでも2着。勝ち馬とタイム差なし、クビ差の2着と惜しい競馬になりましたが、前年の同レースで9着に敗れた馬とは思えないほどの内容でした。

以降、海外のレースにも挑戦し、17年12月の香港スプリント(G1)で6着。6歳になって再びダート挑戦となったフェブラリーステークス(同)は5着でしたが、続く高松宮記念は2年連続の2着。優勝した馬とはハナ差。桜花賞以来のG1制覇まであと一歩という競馬でした。


令和になっても善戦続き/ラストランも全力

6歳時の1年は、前述の高松宮記念2着が最高。常に最後の直線で追い込んできて掲示板内の5着には何度も入りましたが、勝利を挙げることはできませんでした。

7歳になった19年、初戦となった2月の阪急杯(G3)で2着。4年連続出走となった高松宮記念に駒を進めましたが、6着に終わりました。

平成から令和へ時代も変わり、勝利をつかむことができないまま迎えた秋。高松宮記念と同じく4年連続出走のスプリンターズステークスは5着。またもG1に手が届きませんでした。続くJBCレディスクラシックで4度目のダート挑戦。序盤で他馬のアクシデントに巻き込まれてリズムを崩し、力を発揮できないまま6着に敗れました。

この後、19年いっぱいでの引退が発表されました。7歳牝馬、桜花賞で一緒に走った馬たちは、すでに繁殖に上がっていました。この年齢のG1ホースが現役でいることは珍しいと思います。大敗してもう厳しいかと思った後に、好走してまだまだやれると思ったことは何度もありました。

最後のレースは同年12月21日、桜花賞で勝利した時と同じ舞台の阪神競馬場で行われた阪神カップ(G2)。芝1400mで競馬場は違いましたが、3勝目を挙げた京都牝馬ステークスと同じ距離でした。

レースは18頭中の2番枠からスタート。インコースをロスなく進み、最後の直線まで脚を溜めていました。直線に入ると、先に抜け出した馬の脚色が良く、先頭までは厳しい状況でした。

しかし、内から1頭、馬群の中でスペースが空いたところを伸びてきました。最後は2着争いの中に食い込みましたが、結果は4着。先に抜け出し、先頭でゴールしたのは、19年の桜花賞馬グランアレグリア。世代交代を感じさせる瞬間でもありました。

最後まで全力で走り切るレッツゴードンキらしさ全開のラストラン。テレビを通してでしたが、内から追い込んできた姿を見た時には感動しました。直線の追い込みも、最後のレースだと分かっていて脚を伸ばしてきたと思いたいです。


アイルランドで「嫁入り」

阪神カップの後、引退式が行われました。最終レースの後でしたが、多くのファンが残って見守っていたようです。

引退後は繁殖牝馬としてアイルランドに向かうことも発表されました。第2の馬生は新天地で迎えることになります。子供の活躍は、ぜひ日本でも見てみたいです。

引退式から数日後、JRAのホームページに「レッツゴードンキ号へのメッセージを募集」というお知らせがありました。抽選でレッツゴードンキのオリジナルグッズが当たるという内容でした。

こうした企画が立ち上がったことで、改めてファンの多い馬だと実感しました。既に募集は終わっていますが、筆者もメッセージを送りました。桜花賞の思い出と7歳まで走り切ったことをねぎらう内容になりました。本当にお疲れ様でした。

最後に、先日行われた重賞レースで9歳のベテラン馬がレース中に故障。治る見込みがないと判断され、安楽死処置が取られました。こうした出来事を目の当たりにすると、現役生活を全うして次のステージに進めることがどれだけ幸せなことなのか痛感させられます。「無事是名馬」とはよく言ったものです。

レッツゴードンキ 12年4月6日生まれ
父キングカメハメハ 母マルトク
通算成績:36戦3勝(地方・海外含む)
重賞勝ち鞍:15年桜花賞(G1)、17年京都牝馬ステークス(G3)




今回はここまで。
次回は新たに種牡馬となるG1ホースを取り上げます。ハーツクライの後継としても期待されるあの馬です!



参考:馬名、成績など競走馬に関するデータはJRA公式サイト