【経営哲学】プロレスラー川田利明が学んだ ラーメン居酒屋10年で分かった「やってはいけないこと」②

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鋭い眼光は現役時代さながら。プロレスラーからラーメン居酒屋経営に転身した川田利明。(撮影:丸井 乙生)

プロレスラー・川田利明がラーメン居酒屋「麺ジャラスK」を経営し、10年目に突入した。現役時代は全日本プロレスで故三沢光晴と名勝負を繰り広げたトップ選手だが、このラーメン店経営では数々の苦労を乗り越えてきた。「ラーメン店はやらない方がいい」と断言する川田は、なぜその結論に達したのか。"参考にしてはいけない経営哲学"を紐解く。第2回は開業してからのてんやわんやについて。

 

 

オープン初日の行列がアダに

まずは東京・高円寺にある中華料理店に弟子入り。09年末から半年間の修業後、10年6月12日にプレオープンを迎えた。
当初は店を始めることを周囲に内緒にしていた。店をどう切り盛りするかの手順を身につけ、落ち着いた頃に公表しようと考えていた。
 
しかし、川田によると「(プロレス団体「DDT」の社長兼レスラーである)高木三四郎のバカがネットに流しちゃったから、お客さんが殺到しちゃった。高木三四郎のバカが…(以下リフレイン)」ため、初日から行列が出来てしまい、お客さんをさばききれずに待たせることになった。
「色々ネットで書かれたり、言われたりする一番の原因が初日の行列。高木三四郎のバカが…(以下リフレイン)」。



ラーメン店かラーメン居酒屋か それが問題だ

開店に際し、最初のコンセプトはあくまで居酒屋であり、シメにラーメンも食べられることがウリだった。
しかし、かつて全日本プロレスの広報を務めた人物に「麺ジャラスK」という店名のアイデアをもらい、看板にしたところ「ラーメン店だ」という誤解が広がった。
ラーメン1杯で長時間粘るお客さんが続出したため、居酒屋メニューを用意している店側としては悲鳴をあげざるを得ない。現在はラーメン主軸にシフトし、メニュー数も開店当時よりは数を絞った。

キムチ以外全部手作り

凝り性もアダになった。

キムチ以外すべて川田1人による手作りであるがゆえに、休みがない。仕込み→ランチ→仕込み→ディナー→短時間睡眠→買い出し→(以下リフレイン)の毎日となった。夜の営業終了後は明け方に帰宅してシャワー。短時間睡眠をとり、ランチの仕込みですぐ店へ出る。
昔から人に任せたり、やらせたりすることがキライな凝り性だ。プロレス時代の歴代付け人(井上雅央、橋誠、宮本和志、石狩太一ら)にもパシらせることはほとんどなかった。

「自分が気に入ったものを買いたい。怒るよりも自分で行った方が」

名物の唐揚げはもちろん、ラーメンは麺やスープからすべて自分の手作り。そのスープに大変な金額がかかっているのだ。

ベンチ3台がスープに溶けた

10年目に突入する中で、生活にさまざまな変化が起こった。

「身の周りのものがなくなった。借金が増えた」

かつてはベンツ3台を保有していた。しかし、開店1年で①スマート②ゲレンデ③Cクラスの順で売り払った。現在は10年落ちの国産車に乗っている。

ベンツ3台分の金額が溶け込んだスープは、コク、とろみが特徴で、脂っこくない、女性が好きなスープを目指している。

鶏のうまみを出すべく鶏のがらを圧力鍋で砕き、ミキサーにかけて濾す。さらに、トロミはモミジを使用する店が多いが、川田は「他がやっていないことをやろう」と手羽先を使用。

「手羽先だと、とろみのクリーミーさが違うんです」

煮干しラーメンは国産のかたくちいわし。どこにもない味だねと言われるように、プロレスラー時代と同じようにこだわり続けている。

「こんなに身を削ってやっているのに、ネットで叩かれると精神的にすげークルんだよね…」(続く)