読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。
今回は小江戸とも呼ばれる埼玉県川越市へ。蔵造りの町並みを始めとするレトロな雰囲気で人気急上昇中の観光地を自転車でさくっと回ってみた。
川越のシンボル「時の鐘」と「蔵造りの町並み」
日照時間が短い時期はあまり遠出したくないなと思い、今回の行き先は川越。何度か行ったことはあるけれど、じっくり見て回ったことはない。というわけで、冬の寒さが本格的になってきた2023年12月下旬に出かけてみた。
遠出したくないと言いつつも、都内の自宅から川越までは約40kmあったのであまり普段とは変わらないサイクリングになってしまった。西武新宿線・本川越駅前に到着し、そのまま北に数百m進むと、小江戸・川越を代表する「蔵造りの町並み」に入っていく。
沿道には古民家や蔵をリフォームしたようなオシャレなお店が並んでいる。実はこの日はクリスマスイブで、それなりに観光客も多かった。食べ歩きの街といった感じで、人気の飲食店などは長い行列ができている。車も多くて、自転車で走るのも一苦労だ。
通りを半分ほど進んで右に曲がると、川越のシンボル「時の鐘」が高々とそびえている。もともとは江戸時代初期に川越城主・酒井忠勝が建てたと言われ、その名の通り当時から住民に時刻を知らせる役割をしていた。
現在の鐘楼は1893年(明治26)に起きた川越大火の翌年に再建されたもので、3層構造で高さ約16mある。現在は1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)、機械により自動で鐘が鳴るようになっている。
鐘楼の下はくぐれるようになっていて、その先は小さな神社の境内だった。薬師如来立像をご本尊とする薬師神社だそうだ。本来、薬師如来は仏教の仏様だが、ここはもともとお寺だったのが明治に神社となったという。病気平癒、特に眼病にご利益があるといわれている。
ところで現在の「蔵造りの町並み」は、先ほど触れた明治期の大火がひとつの起源となっている。江戸時代、川越は隅田川の支流である新河岸川の水運で江戸との行き来が盛んで、川越から農産物を運ぶ一方、江戸の文化も多く入ってきたという。
しかし、明治大火により1300戸以上、街の3分の1が焼失。その中で蔵造りの建物が多く焼け残ったので、当時最高の防火建築である蔵造りの商家が多く建てられ、現在まで残っているわけだ。
菓子屋横丁を散策
人通りが多いので、自転車をとめてちょっと散策。埼玉県や川越市はサイクリングマップをHP上で公開しているのでそれを参考にしつつ、結局、現地で手に入れた観光マップが一番役に立った。
蔵造りの町並みの西側にある「菓子屋横丁」へ。もともと川越では明治初期から菓子を製造していたが、関東大震災で被害を受けた東京に代わって多くの駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていたそうだ。
現在も20数軒のお店が営業している。人気のお店には人が並んでいるけど、蔵造りの町並みの喧騒からは少し逃れたような感じがあり、落ち着いて散策できる感じだ。
昭和初期の洋風建築と「大正浪漫通り」
蔵だけでなく洋風建築も川越の見どころということで、「蔵造りの町並み」を南に歩く。「埼玉りそな銀行 旧川越支店」は、前身銀行のひとつである旧「第八十五銀行本店」として1918年に建てられたもの。塔屋を備えた雰囲気ある建築だが、現在は老朽化のための改修工事中でシートに覆われている。残念ながら写真をお見せできなかったので、かつての姿が気になる人は検索してみてほしい。
ここは、2024年春に「りそな コエドテラス」としてリニューアルオープンするそうで、地元の食材を使ったカフェやレストラン、市民や観光客が楽しめる多目的イベントスペース、さらには地元の新規事業創出のためのコワーキングスペースなどが入る複合施設となるという。
再び自転車に乗って、さらに南にある「大正浪漫通り」へ。大正時代を思わせる古い商店が並ぶ石畳の道で、オシャレなカフェなどもある。こちらも蔵造りの町並みと比べると、人通りも少なくて大人の街といった雰囲気だ。
さて、次回は周辺の寺院などをめぐっていこうと思う。
(光石 達哉)