東京五輪の聖火リレーがどんなところを走るのか、事前に自転車で走ってみようというこの企画。だったのだが、東京都の聖火リレーは公道走行が中止(島しょ部をのぞく)となり、五輪自体もそろそろ終わろうとしている。とはいえ、幻となってしまった聖火リレーが、どんなところにコースが設定されていたのか引き続き見ていこうと思う。今回はついに最終回、開会式当日に予定されていた新宿区のコースを走る。
前回は東京都14日目の港区まで走り、今回はいよいよ最終日、五輪開会式当日の7月23日に予定されていた東京都15日目のコースで、すべて新宿区内を走っていく。もちろん、走行中は感染対策に注意を払い、他人との接触を最小限にしている。
新宿の中心からスタート!
前回ゴールした芝公園から約9km北西に移動し、第1区間のスタート地点は新宿区の「都庁北側ビル前広場」、いわゆる住友三角ビルのことだ。大会スポンサーではない企業名はオフィシャルの資料等では違う呼び方に変えられるのは、今までの経験でなんとなくわかってきた。中に入るとビルの北側に屋根付きの大きな広場があったので、ここがスタートだったのだろう。
ビルを出たら新宿中央公園の方へ向かい、左折して甲州街道に入り、新宿駅南口の方へ。御苑トンネルはもちろん通らず、新宿通りを東へ進み、四谷四丁目の交差点を左折。「富久町西交差点」でゴールする約3.5kmのコースとなっていた。
神楽坂の「かくれんぼ横丁」を抜ける
第2区間へは、約3km東に移動して神楽坂へ。坂の途中で脇道に入り、「かくれんぼ横丁入口(神楽坂仲通り)」がスタート地点だ。
神楽坂は、明治後期・大正時代に山手銀座と呼ばれる繁華街だったという。中でも「かくれんぼ横丁」は。反対側から人が来たら肩が触れそうなほどの細い道に隠れ家的なお店が並んでいる。「お忍びで遊びに来た人を後ろからつけて来ても、横に入られるとわからなくなる(新宿観光振興協会HP)」から、そう呼ばれているそうだ。足元は石畳で、自転車で走るとガタガタ揺れる。
コースはかくれんぼ横丁を抜けて、道幅の広い本多横丁に入り、さらに神楽坂に出て「善国寺毘沙門天」でゴールする約300m。もともと神楽坂はこの毘沙門天の門前町として発展したのが始まりだそうだ。
聖火リレー終着地の東京都庁へ
続いては、約3km西へ戻る。第3区間のスタート地点は、靖国通り沿いの「NTT四谷ビル前」で、先ほどの第1区間のゴールのすぐそばだ。
ここからさらに西へ進み、歌舞伎町を右に見て新宿大ガード下をくぐり、西口エリアへ。新宿中央公園の北側を1周半してから一度南へ向かい、ワシントンホテル前で左折して東京都庁前へ。
階段を降りたところにある半円形の「東京都庁 都民広場」がゴール地点となる約5kmのコースだ。
〝最終目的地〟の国立競技場へあと一息!
3月25日に福島県からスタートし、47都道府県を回った聖火リレーはここが終着地で、当日は歌舞伎俳優の中村勘九郎さんが最終ランナーを務め、聖火の到着式が行われた。
しかし、もちろん実際の聖火はテニスの大坂なおみ選手が最後に点火した国立競技場の聖火台が最終的なゴールなわけで、国立競技場へも行ってみることに。
交通規制でどこまで近づけるかよくわからなかったが、代々木駅前を抜け、鳩森神社の角から、外苑西通りのホープ軒の近くに出ることができた。ここからは目の前に国立競技場、今はオリンピック・スタジアムと呼んだ方がいいのかな、がデデンと立っているのがよく見える。
スタジアムの近くに五輪のモニュメントがあるらしいというので、ちょっと探してみることに。銀座線・外苑前駅から北に向かうスタジアム通りの方へ向かってみた。神宮球場前で車は交通規制されていたが、人や自転車は歩道を進むことができる。
この日は五輪開催中の週末で、人出は多い。もちろん無観客開催でスタジアムに入ることはできないが、ちょっとでも雰囲気を味わおうとしているのだろうか。第二球場の前あたりに関係者用のゲートがあるが、その横に日本オリンピックミュージアムがあり、その先の広場に五輪のモニュメントが置かれている。しかし写真撮影の長い行列ができていたので、遠目からちょっと写真を撮るだけにした。
この広場には1964年東京五輪、1972年札幌五輪、1998年長野五輪の3つの聖火台のレプリカも置かれていた。聖火リレーのコースを巡るサイクリングを終えるには、最適なゴール地点に思えた。
幻となった聖火リレーコースを巡って…
結局、自分が走ってきた千葉と東京のコースはすべて公道走行中止となり、幻となった。ただ、コースを考えたのは自治体の人か組織委員会の人かわからないが、この街のこういうところを見てもらいたかったんだな、聖火ランナーに走ってもらいたかったんだなという思いを自転車で走りながら感じられたのが意外と楽しかったし、色んな発見もあった。
梅雨や猛暑の中、スマホの地図を確認しながら走るのはちょっとしんどかったけど、地元開催のオリンピックというめったにない機会を自分なりの方法で味わうことができたのは、いい経験だったかなと思う。
(光石達哉)