視覚障がいの選手を対象としたパラスポーツ「ブラインドサッカー」の男子日本代表強化合宿が2022年5月28日、東京・小平市のMARUI ブラサカ!パークで行われた。
気温26度を超える夏日の中、日本代表メンバーが汗を流した。
1月に就任した中川英治監督はウエートトレーニングに重点を置いており、5月中旬の4カ国対抗「Blindenfreunde Cup(ブライデンフロイデ・カップ)」(ドイツ・ベルリン)では海外チーム相手に初優勝。18歳の園部優月の成長も著しく、24年パリパラリンピックの自力出場に向け、手応えを感じている。
雨上がりのじめじめにもマケズ…
代表合宿の公開日となったこの日、雨上がりの午後練習では気温が26度まで上昇した。数字以上に蒸し暑さを感じるピッチに、選手たちが続々と集合。5月13、14日の4カ国対抗戦では中川監督新体制で国際大会初優勝を飾っており、掛け声が飛び交うエネルギッシュな練習を繰り広げた。
指揮官は充実のドイツ遠征について「相手の対策が十分にできた。選手の理解、実行、分析、コンディション管理がパーフェクトだった」と総括した。
18歳 園部がドイツ遠征で活躍
4カ国対抗戦「Blindenfreunde Cup」(ドイツ・ベルリン)には日本、ドイツ、イタリア、ポーランドが参加した。初戦のイタリアに快勝、続くドイツ戦で引き分け、1勝0敗1分けで迎えた第3戦ポーランド戦に優勝がかかっていた。しかし、ドイツを上回って優勝する条件は、得失点差で8点以上。状況は厳しかった。
しかし、エース川村の大量5得点をはじめ、18歳の園部優月が3得点。07年アジア選手権以来15年ぶりの代表復帰を果たした鳥居健人もゴールを決めるなど、日本は12-0の大勝を収めた。
3試合連続得点を決めたエースもさることながら、園部はイタリア戦前半でもチームの遠征初ゴールをマークし、自身としても海外チームを相手に初得点を挙げた。
その初ゴールについて「1試合目は落ち着きがなかったけれど、一旦アウトとインを挟んで、自分のドリブルスピードに(乗れた)。だんだんと自分らしくゆっくりプレーができました」。海外勢との貴重な対戦で国際大会での戦い方の感覚もつかみ始めている。
楽しく厳しいウエートトレでフィジカル向上
中川新監督の方針で、代表チームはウエートトレーニングに力を入れている。身長190センチの長身選手も擁するドイツ戦の引き分けも、フィジカル向上の結果なのだろう。指揮官は 「(相手は)ドリブル、カットインがうまかったが、プレーを封じ込めることができたし、被決定機がなかった」と振り返った。
この日も、チームは時折ジョークを交えて雰囲気を盛り上げながらウエートトレに励んだ。体幹を鍛えるメニューでは、体がブレ始めた選手にコーチが「震度3だよ! 1までにして!」と体の使い方をイメージしやすい例えで指導。チームきってのムードメーカー・佐々木ロベルト泉は、絶え間なく声を張り上げた。
「頑張れ! 最高! さすが! カッコイイ! ファイト! フォー!」
無限のレパートリーを持つロベルトの掛け声が会場全体に響き渡る。鳥居健人が「水族館のオットセイか」とツッコみ、この日一番の笑いをさらった。
また、ドイツ遠征で活躍した園部も、先輩の24歳・丹羽海斗に〝トラップ〟を仕掛けられた。ベンチプレス終了間際、園部のラスト10回を数えていた丹羽は「8、9…」ときてから、「9.1、9.2…」と突如0.1刻みにカウント。園部は止めることなく甘んじて受け入れ、プラス9回を平然とやり切った。
さらに、直後に周りから「からの~」のコールが入ると、その場で腕立ても開始。このペースで筋トレを続けると、マッチョと呼ばれる日は近そうだ。
体が大きくなったのではないか、と聞かれて「新体制になった後、ベンチプレスのおかげで筋肉が一気に発達した気がします」と効果を実感しており、18~22歳にかけて男の子は筋肉量が一気に増えるよ、と声をかけられると、思わず目元を緩ませた。
22年11月にアジア選手権/23年世界選手権
22年から競技ルールが一部改正。前後半の各試合時間が20分から15分に短縮された。
中川監督は「強度の高いアクションは増えると思う。今まで20分に20回あったとしたら、15分でも20回。逆に言うと、有酸素的な能力はいらなくなると思う。上手に交代しながら攻撃したい」と分析する。
ドイツ戦遠征では、24年パリ大会を踏まえて欧州の審判について傾向と対策も練ることができた。
「ドイツ戦では(相手選手を2対1ではさむ)サンドイッチや抱え込みでファウルを取られました。その後ミーティングを開いて(次の)ポーランド戦ではファウルがなかったと思います。課題をすぐ解決することができて良かった」
11月にはアジア選手権(インド・コチ)、23年8月には世界選手権(英国バーミンガム)が控える。
「歴史を塗り替えるんだというスローガン。(開催国枠でなく)自力でパリパラに出場するという目標もある。これくらいのことを出来なければ、もっと大きな歴史を塗り替えられない」
20年に完成したブラインドサッカー専用の「MARUI ブラサカ!パーク」。パリ大会出場という目標達成へ向け、選手たちはこのコートで明るく激しく走り続ける。
(いいの けい=mimiyori編集部)