【連載「生きる理由」101】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「熊本に道場をつくった話」②~「楽して勝たない柔道」とは

20022年6月、都内で柔道セミナーを行った内柴正人氏(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「熊本に道場をつくった話」②。

夫人が中心となって、熊本県内にこのほど柔道場が完成した。
倉庫を借り、道場生とその保護者たちが総出で作り上げたもの。

道場を運営、指導する夫人は内柴氏の柔道について最大の理解者でもある。
内柴氏の信条は「楽して勝とうとしない柔道」。
そこに至るまでの過程を振り返る。

 

 

 

先輩VS.斉藤仁先生

2022年6月に都内で行った柔道セミナーには、多くの人が参加した(撮影:丸井 乙生)

理由、
国士舘というところには、ピカイチに強い人は少なかったんですね。
むしろ、練習嫌いな人ばかり。
その中で、めちゃ強の先輩がいると影響されます。

しかし、
めちゃ強先輩がたまに出てきたら
もちろん斉藤仁先生も目を向けます。

先生と先輩の間の話がいつも厳しいのです。

先輩は日本一になったのに、めちゃくちゃ怒られる。
国際大会を優勝しても認めてもらえない。

先輩は先生のアドバイスに対して怒ってるんです。

 

先輩と先生のバトルの訳は

2つ下の僕。
斉藤仁先生 めちゃ強先輩と僕、
怒ってる先生 キレてる先輩
と僕。

でもね、
先輩が怒られている理由は分かっていたんです。

例えば
試合の途中でポイントを得れば、先輩はもう攻めないんです。

ポイント一つで抑えにいく。
勝てればいい。

 

やり取りを見ていた

2022年柔道セミナーの内柴氏(右)。自分が身につけた技のコツを実技を交えて説明した(撮影:丸井 乙生)

もう一つ、
先輩は、相手をぶち投げる技を持っているんです。
飛び込みの背負い投げ。
でも、接戦になると、いつも相手の状態を力で押さえつけて足を取る。

先輩がそんな試合をするのは全日本学生の決勝だとか、
どうしてもひとつ優勝が欲しい状況。

小さくなる。
斉藤先生は
そのような勝負どころで大きくどんどん攻めないで、
オリンピックという最高の場面でアグレッシブに攻める柔道は出来るわけないだろ。
という思いだったと思います。

伝え方の問題だけど、
不器用に怒り散らかす。

そのやり取りを横で見ていた期間がありました。

 

「楽して勝たない柔道」が生まれた背景

指導する時は笑顔も交えて話をする(撮影:丸井 乙生)

「楽して勝たない」僕の柔道は、
子どもの頃から近くにいた大人、先輩方のやり取りを自分のことのように聞いて入れたから、
いざ、自分の時代が来る前から
そうでなければならない、
不器用にしっかり組んで、技術で負ければぶん投げられる、
それを良しとする練習の仕方でした。


斉藤先生の教え通りに練習していても投げられれば激怒されるのですが、
そこで萎縮しないで目指す柔道で負けるなら負けてもいい。
いつか勝てるために。

育てるうまさもあれば
勝手に育つ選手もいて
人と人との巡り合わせで強くなれることもある。


細川先生に「柔道がうまくなった」と言われたことはとてもうれしかったです。
(内柴 正人=この項つづく)

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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