【連載「生きる理由」104】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「熊本に道場をつくった話」⑤~現役時代は旅先で〝道場訪問〟していた

夫人が起こした会社で販売しているTシャツを着用する内柴氏(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「熊本に道場をつくった話」⑤。

熊本県八代市の倉庫を借り、畳を敷いて道場にする。
しかし、これまで勤務先の片隅に敷いていた中古の畳では足りず、
〝館長〟となる夫人がつてをたどり、恩師から畳を融通してもらえることに。

その畳の輸送方法を考えながら、
現役時代は、旅先で未知の道場を訪問して練習していたことを思い出した。

 

 

 

ロビー片隅のスペースが出発点

内柴氏がかつて、柔道の動きを説明する時に描いていた人型をデザインしたTシャツ(写真:事務局提供)

内柴正人44歳、
風呂屋 兼 道場を造る。

妻が指導者として道場を作ります。
僕は手動で温泉を沸かします。

風呂屋のロビーに畳を敷いて、打ち込みと寝技もどきでごまかしていたモノを形にしようとしています。

道場でもない、塾生や会員を募ってもおらず、
アドバイスを欲しいと訪ねてくる人に教えてみたり、地域の子たちに教えてみたり。

もとは僕が柔術、グラップリングの試合に出るために
県内の柔術家の先生と練習するためのスペースだったか。

スペースであって道場ではなかった。

言うても職場ですから違和感がないわけではない。
しかし、仕事の休みがあるわけでもない。

 

お風呂の仕事は毎日何かが起きる

広々とした職場のお風呂。浴槽の種類はいくつもある(写真:本人提供)

そう。
僕の仕事は風呂屋、
古い風呂屋なんですね。
先週はブロアが壊れて、泡風呂の泡が止まりました。
(男湯)

今週は女湯のジェット風呂のジェットが止まりました。
あっ、止まってない。
止まったのではなく、ポンプのシーリングの不具合でポンプの軸の隙間からお湯が漏れていました。

どちらも直したのですが、
そのような不具合がよくありまして
会社の休みもないのだけど、この店舗において僕がいなければならないことがとても多い。

だから、
暇な時はフロントに立ち、鍵渡しもするけれど
人が来る時は
いつも店が心配なので、ロビーの空きスペースに畳を敷いて柔術したり、柔道もどきをしていたんですね。

僕を訪ねてくる人には、まずは組み合わないとアドバイスもしてあげられない。

 

畳が足りず 夫人の恩師に頼る

以前、職場の片隅に柔術マットを敷いていたプチコーナー(写真:本人提供)

道場にするために倉庫を借りて、持っている畳を移動しました。
分かってはいたけれど、僕が持っている畳では
道場にした倉庫に対してちょこんとした量しかない。
20畳。

あはははは、
買おうか。

妻が地元の恩師に連絡を取り、中古の畳を送ってもらっていました。

中古といえど、お金は払う。
長野県からとなると、送料もかかる。
「俺がトラックで取りに行くか?」
世の中の労力に対する賃金はよく出来ていますね。

自分でトラックを借りて動いても、人に頼んで運んでもらっても、
そこまで金額が変わらないんです。

「よし、頼もう」
そうなるのは仕方がありません。

 

昔は旅先の道場で練習

キルギス選手の来日費用を工面するために、チャリティー柔道教室を行った時も熊本からレンタカーで上京した(写真:本人提供)

性格的に
自分でトラックを運転して、往復して掛かる10万円ちょいと
人に頼んで15万円ちょいならば
僕は自分で苦労したいタイプです。

トラックで長野まで行って、そばを食べて帰ってくる。

20年前の現役選手の頃も、年2回くらいの休みが取れれば
そうやってどこかへ行った先の知らない人の道場で練習したものでした。

昔は突然、飛び込みで練習に行ったとしても、どこでも歓迎されましたが、
今はね、
嫌われ者なもので、行ける場所がない。知らないんです。

僕を嫌いな人を探す旅なんてしても仕方がないですから。
かと言って、
受け入れてくれる珍しい道場を探して回るより
自分の家のような道場を持って
自分の住む地域の人たちと組み合えれば、それが一番いい。


さて、
畳を取りに熊本県から長野県の往復でどこへ立ち寄ろうかなんて楽しみがもうないとなれば、本当のただの往復ですからね、

人に頼むことにしました。


(内柴 正人=この項つづく)

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

 

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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