【連載「生きる理由」107】柔道金メダリスト・内柴正人氏 番外編「夫人がつづる道場設立に至ったワケ」①

内柴寿子さん(左)と内柴氏。古タイヤを敷き詰めて、道場の基礎作り
(提供:合同会社EDGE&AXIS)


2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は番外編、道場の責任者を務める寿子夫人がつづる「道場設立に至ったワケ」①。

 

温浴施設のマネジャーとして勤務する内柴氏と手を携え、

公私ともに協力して生きている夫人の思いとは。

 

 

 

経営&監督は夫人が行う

道場の床の下に敷くために、古タイヤを集める日々を送った
(提供:合同会社EDGE&AXIS)

はじめまして。
内柴正人の妻、寿子です。
今回の道場設立について書かせていただきます。

まず、知っておいていただきたいことは
道場設立は私が発起人だということです。

監督も私、
道場の責任者も私。
この道場の母体となる会社代表も私。

何の実績もないけれど、行動は早い。それは内柴家、嫁の方。
夫は残念なことに、
柔道がかかわることでは引っ込み思案で消極的。

なので、私がエスコートしないと畳に上がってこないのです。

手のかかる夫でしょう(笑)

 

「内柴正人」を甘く見ていた

集めてきた古タイヤは、道場となる倉庫へ(提供:合同会社EDGE&AXIS)

ただ、「道場を造る」と言ったら、とんでもない速さで取り掛かってくれます。

つい、数日前まで自分の物でもない、知り合いの物でもない倉庫を借りてきて
何にもなかった倉庫に道場を造ったり。

……と、造るのは保護者の方が全力でお手伝いしてくれたので
1人ではなく、みんなで力を合わせました。


夫がお風呂屋さんに勤めると言いだした時、
――運動とは無縁の仕事で
人の下で働くということができるのだろうか――

とても心配でしたが、
勤めだして、もう3年が経ちました。

今ではしっかりマネジャー業をこなし
謎の機械まで修理しています。

仕事を終えるのは夜中の1時2時。
昼間は10時出勤。
ホテル対応、機械の故障などの対応は夜通し。

そろそろ、休憩時間やお休みの日に柔道や柔術をやってもいいと思うのです。

 

悪名は無名に勝る

内柴氏は仕事に行く前の早朝、道場「造り」を手伝う(提供:合同会社EDGE&AXIS)

良くも悪くも、夫の持っている知名度。

「僕は悪人と思われたままでいい」

刑務所から出てきて、彼は記者の方に言いました。

私も彼が世間にどう思われているか、承知していますし、
そのことが気になる時期は過ぎ、もう何年も前に受け入れています。

すべてを受け入れ
彼は彼の信念で生きればいい。

私は私の生き方を、毎日、初心をもって生きています。


(内柴 寿子=この項つづく)

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

 

www.youtube.com

………………………………………………

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

#MasatoUchishiba

 

mimi-yori.com

 

mimi-yori.com