【連載「生きる理由」88】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「教え子と約束した話」①内柴氏が教える柔道とは

2022年の夏、内柴氏は教え子の練習先を求めて、そして彼らの活動資金を募るために東京、愛知、大阪、そして九州中を走り回った(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「教え子と約束した話」①。

キルギス共和国から来日修業していた教え子3人はすでに帰国。
内柴氏は、そのトリオとある約束を交わした。
柔道の技術だけでなく、彼らの将来を考えて交わしたその内容とは。

 

 

 

久々に落ち着いた

押忍。
風呂屋です。
この2カ月と少し、柔道していましたので
久しぶりに落ち着いた日々に戻りました。

「先生とヒサコさんは日本のお父さん、お母さんです。本当にありがとうございました」

そう言ってもらい、僕たちは別れたわけですが正直、安堵(ど)しております。
もう、疲れたあ。

ただし、良い疲労感です。

 

僕が教える柔道は

2022年6月には、移動の費用を抑えるためにキャンピングカーをレンタルして、熊本から東京まで車を運転(撮影:丸井 乙生)

他人の子どもになぜ、教えてやらなければいけないのか?
最近、自問自答することです。
柔道を仕事に生きていませんからね。
それでも人がポツポツ来るので、そこはありがたく受けて立ちます。

 

僕が教える柔道とは、
その本人が、大人になって柔道辞めた時に恥をかかない柔道を身につけて欲しい。
親になり、先生になり、人にアドバイスをしなければならない時に恥をかかないように。
見本を見せられるように。

その次に、
持っている技術に伴った試合の成績を意地でも取った方がいいよ。

そんな感じです。

なので、
正直、勝とうが負けようがどうでもいいんです。

 

地力をつけるところからスタート

キルギスに帰る教え子には、帰国の土産として新品の上質な柔道着を用意した(写真:本人提供)

僕は勝ちました。
ですが、勝負の世界は習った人が勝てるわけではない。
なぜなら、
勝ちたかったらセコいことをした方が勝てるから。

僕の柔道は、正々堂々と正面を向いてしっかり組んで地力をつけるところから入ります。
まず、ここでつまずく人は多いです。

次に上に投げること。
5センチ浮かせる技をかけること。

ここでも、
小学生から大学生までの柔道に迷い、僕のところに来る人は意味が分からないと思います。

 

奥の手をメインにしている人が多い

内柴氏から教えてもらったことを彼らはどう生かしていくのか(写真:本人提供)

すなわち、
組めない、組まないで切る。
掛けつぶれて、つぶし合い。
だいたいの人がそんな柔道なんですね。

でも、それって
最後の最後の最後に使うセコい柔道なんです。

それをメインにしている人がとても多い。
とっても多い。
笑っちゃうくらい多いんです。

組んで、立って柔道してないんです。

「はじめ」「待て」
「はじめ」「待て」
はじめ、待て、はじめ……

なので、
僕は組んで正面向いて立っている柔道を教えています。


(内柴 正人=この項つづく)

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。

より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。

詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

 

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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