【連載「生きる理由」112】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「夢と地獄の日々」③~減量失敗後「友達から死ぬと思われていた」

まだ生まれたての「EDGE&AXIS道場」。階段トレーニングの頂上で道場生とともに八代市を眺める(提供:合同会社EDGE&AXIS)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は、「夢と地獄の日々」の話③。
後輩の結婚式に招待されて上京しながら、夢を追いかけた懐かしい日々、かつ地獄の日々を振り返る。
飛行機に飛び乗って頭をよぎった記憶は、減量に失敗して03年全日本選抜体重別選手権60キロ級に出場できず、柔道をやめようとした当時のことだった。

 

 

一番の幸せは晩酌

2021年11月、内柴家のある日の食卓。料理上手の夫人は焼き鳥も下ごしらえから作る(撮影:丸井 乙生)

今、一番の幸せは。
風呂屋が閉店して次の日の準備を終え、鍵を締めて社宅に帰る。
風呂屋なのにシャワーで済ませ、食事の準備。

Netflixで映画かドラマを選び。
妻が作り置きしてくれたお惣菜を並べる。

そこでの晩酌がたまらなく最高なんです。

膨れる腹。
若い頃に食べられなかった食べ物という食べ物を、きょうしか食べられないと思ってしまってるのではないかというくらいに食べてる時間が幸せであります。

もしかして、
貧乏太りってこのことか?

人は食べる行為で幸せホルモンが出る。テレビで見たことがある。

 

仕事ばかりの毎日

内柴氏が住む熊本・八代市の夜景。階段トレーニングの山を登ると、頂上から見える風景だ(提供:合同会社EDGE&AXIS)

僕は今、チャレンジしていないのではないか。
不安ばかりです。

仕事を言い訳にして、やりたい事をあきらめる。
仕事、僕の店舗に僕しか分からない仕事が多く抜けられない。
修理の多い古い風呂屋。

心配なんです。
何かあった時に僕がいればすぐに復旧できるものが、いなかったからお湯がぬるい、シャワーが熱い。

ドアが開きづらい。
ドライヤーが壊れた。

スタッフがお客さんから叱られることを考えると、心配で事務所にこもってしまう。

 

仕事力をつけたい

早朝に道場の内装を手掛けてから仕事へ。仕事は深夜まで及ぶため、眠そうな内柴氏(提供:合同会社EDGE&AXIS)

働くのは簡単です。
すべてを費やせばいい。
わからないことを学べばいい。

それでも、
この仕事を続けながら柔道ができる環境をつくれないか。
今、とても考えています。

妻がつくる道場をどうにか手伝えないか。

それは仕事を言い訳にしないという強さと同じで
仕事に力を入れまくり、能力を上げることが先。

そう僕は思ってる。

若い頃、1回の世界一になるまでに何度となく失敗してきたことを思えば、
仕事ばかりで腹が出てくる自分の姿を見るのは悲しいけど
今は仕事力を身につけたいと踏ん張ってみています。


若い頃の僕。
1回負けるだけで、疲れて過ぎて眠れなくなるくらいトレーニングで悔しさをごまかしてたな。

そんな若い頃の僕の頑張りに負けないように、仕事を頑張ろうと思う。

 

後輩の結婚式に出席

夫人特製の煮込みうどん鍋。トマトで疲労をとる(撮影:丸井 乙生)

そんなきょう、
後輩の結婚式に出席してきます。
久しぶりに柔道界の人間がたくさんいるだろう会。

子供の頃に辞めた道場でもあるんだけど。
多分、その道場が出来てなくなるまでの期間、
一番頑張ったのは僕だと思う。
絶対に僕。

辞めた道場なんだけど。
僕のことを
「まっ先輩」「正人」と呼ぶ人が何人かいる。

辞めたんだけど、
親父と道場の先生との間でいろいろあったんだけど。
あの頃まで僕は先生の一番弟子のつもりだった。

だから、きょう、僕は出席しなければならない。
そんな思いで飛行機に飛び乗りました。

スーツのズボン、ウエストがキツイ。

 

全日本をクビになって「死ぬと思われていた」

2017年10月、独身時代に住んでいた東京・仙川を訪れた内柴氏(撮影:丸井 乙生)

生きる地力を上げようと思う。
僕は才能とは引き上げるものだと信じている。


ああ、そうそう。
僕ね、
チャンピオンになる1年前に1つ下の階級で減量出来なくなって、失格して全日本もクビになって。
もう、柔道はやめよう。
決めていました。

当時の妻のお母さんに会社用のバッグを買ってもらいもしました。
スーツも2着買いました。

4月に失格、そして、クビになり。
その2週間後に結婚式をしました。

結婚式のスピーチで地元の友人に
「正人、柔道のチャンピオンとか世界一とかどうでもいいけん、頼むから死なないでくれ」
そんなスピーチをされ、とても恥ずかしかったです。

斉藤仁先生は
立場上、スピーチで
「みなさんの魂を内柴に分けてあげてください」
建前かな、と思いつつも、いただきました。

 

救ってもらったことは今でも忘れていない

結婚式が終わり、
実際にはあきらめた残りの現役生活。
道場にも行かず、ぼーっと過ごしてました。

斉藤仁先生からの誘い。
「金は持ってるか?」
行くぞ!ヨーロッパ遠征。
自費で行くぞ。

会社からも連絡。
監督より、延岡勤務と東京での生活が減量失敗を繰り返した原因でもある。

「内柴を東京(神奈川)に移せ」
雲の上の人からの指示があったと、監督が本意ではない空気を出しつつも人事異動となり、
救ってもらったことも、僕は今でも忘れてはいません。

「内柴を東京へ」
階級を上げ、一度も試合に出ていない僕へ
皆さんが期待してくれたあの日の苦しみ、感謝。
いろんなことを今、思い出しています。

「僕、友達から死ぬと思われていたんだなあ」って。

生きるって簡単だから、苦しいくらい頑張りたい。


(内柴正人=この項目つづく)

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◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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