【連載「生きる理由」89】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「教え子と約束した話」②~習ったことは次世代に還元する

2022年の夏は、全国4都市で柔道セミナーを行った内柴正人氏(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「教え子と約束した話」②。

キルギス共和国から来日修業していた教え子3人はすでに帰国。

内柴氏は、そのトリオと将来を見据えた約束を交わした。

教え子とキルギスの未来を拓くその内容とは。

 

 

 

柔道の基礎は学校で習った

最近になって、柔道を教える方法を思い出してきたという(撮影:丸井 乙生)

「内柴の柔道は真似できない」と言われた、と言う人がいます。

そのような人にかける言葉は決まって「まだ、俺の柔道に入ってない」。

組んで、正面向いて、前に歩く。
圧力で勝って、技を仕掛ける。
その程度のことは学校で習うモノでしょう。

僕は学校で習ったんです。

だから、
僕が柔道を教えて
とても難しいことを習った、と言われても
教科書レベルなので、それを内柴に習っても自慢にならない。
人に言ってほしくもない。

 

来日修業を思い出で終わらせない

そんな面倒くさい僕の柔道を習いに来てくれたキルギスの3人はかわいいヤツらです。

人生で二度、僕に習う。
なかなかないぞ!

彼らに伝えました。
現役時代の思い出として、今回の職業訓練があったわけではない。
これを人生の糧にすること。

 

キルギスで自分と誰かの未来を拓くこと

指導する時は身振り手振り、そして具体的に言葉で伝える(撮影:丸井 乙生)

「アラバエフ大学に帰ってからの約束」

「あー、楽しかった」で終わらせないこと。
アラバエフ大学に少年少女の柔道教室を開講すること。
そこで柔道と日本語を指導すること。

その子たちにきちんとした柔道を教えて、日本に来るきっかけづくりをすること。

中学までに、日本語を今のあなたたちくらいにまでしておけば、高校で日本に留学ができる。
高校で柔道留学をして強くなってキルギスへ帰るだけでも面白い。
アラバエフ大学に進学してくれれば、さらに面白い。

日本語もマスターしているだろう。
そこからアラバエフ大学の日本学院に入れば、今回のように職業訓練で言葉に困ることは絶対にない。

 

教え子の仕事をつくる

キルギス支援の柔道チャリティーTシャツを着る内柴氏(撮影:丸井 乙生)

より質の高い職業訓練が受けられる。
こき使われる職業訓練ではない。
そうして、
柔道がうまい。

最高な人材育成を、あなたたちは柔道をもってできることをアピールできれば、それが将来の仕事になる。

「これが宿題だ!」

そんなふうに話しておいた。

意味は分かっていると思う。
頑張って欲しい。

 

(内柴 正人=この項終わり)

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。

より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。

詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

 

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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