【連載「生きる理由」111】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「夢と地獄の日々」②~現役時代は食欲との戦い

倉庫を利用した道場内の内装を自らの手で進める内柴氏(提供:合同会社EDGE&AXIS)


2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は、「夢と地獄の日々」の話②。
後輩の結婚式に招待されて上京しながら、夢を追いかけた懐かしい日々、かつ地獄の日々を振り返る。
現役時代は、自分に課したトレーニングに苦しみながら、減量とも戦ったことについて。

 

 

野村さんが引退する前に

内柴氏が自ら手掛けた道場内装がこちら。器用すぎる(提供:合同会社EDGE&AXIS)

そんな僕は大学に進学してから4年間、
就職してから2年と少し、常に焦ってました。

早く野村忠宏さんを倒さなきゃ、引退していなくなってしまう。
また、自分との戦いである減量。
70キロの体重を60キロまで絞るには、普段の生活で65キロほどに落としておかないとなりません。

下からチャンピオンをつぶすには、チャンピオンだけを狙っても無理な話。

2番手、3番手にならないといけませんし、高校日本一にはなりましたけれど、
大学生や大人が出る試合で勝ったことはありませんでした。

今思えば、大したことないと笑えるレベル。

今でも、復帰できればそこそこまで上がれると思います。
仕事を捨て、すべてを捨て、柔道だけの生活を送れるならね。
今、80キロあるけど。

 

目標は半分叶いかけていた

壁の施工も配管も自分で行う(提供:合同会社EDGE&AXIS)

当時は抜かなければならない先輩方がわんさかいて、
最高の選手が一人君臨しておりました。

この人を4年以内につぶしてオリンピックに出る。

出られなかったんです。

しかし、この想いというものは強過ぎて、半分叶いかけていました。

練習で挑んでまったくかなわなかった高校3年生の夏。
まったくかなわず、あこがれた夏。
「これが柔道なんだ。」と目標にした年でもあり、
高校チャンピオンとオリンピックチャンピオンの差を試合で埋めることができるまでの期間が2年と5カ月。

僕、野村忠宏さんに勝ってしまったんです。
国際大会もポンポン優勝。

 

ありえないくらい苦しかった

もはや素人とは思えない手際で内装を手掛ける内柴氏(提供:合同会社EDGE&AXIS)

その後、
たくさんの失敗もあり、25歳の時に減量ができなくなり、あえなく60キロ級をあきらめることになりました。

この期間に野村忠宏さんに僕は2回も勝ってしまっていて、たぶん、野村忠宏の次は内柴だろうと思われていたと思います。笑笑

苦しかったなあ。
自分の能力を超えて才能を引き上げる練習。
これと減量生活を合わせて過ごした期間。

ありえないくらいに苦しかった。

 

後輩の結婚式に招待されて上京

ペンキ塗りも取り付けも自ら行った(提供:合同会社EDGE&AXIS)

僕、きょう
後輩の結婚式で東京へ向かっているんです。
その後輩は道場の先生の息子さんです。

この道場はもうないんですけど、
なくなるまで練習がとにかく厳しいと有名な道場でした。

きっと、きょう、たくさんの門下生が集まるでしょう。
みんな「地獄の思い出」を持って集まることでしょう。

そうして、僕が進学で進んだ国士舘。
誰もが練習が厳しいと言う思い出を持って卒業していると思います。

恨むほどの苦しみを受けた人も多く。

僕が出身の大学の好きでない部分が当時の学生、OB共にこの大学の練習がいかに苦しかったか。
自慢話のように苦労話をするところなのでした。

今は逆に嫌われてるんです。
仕方がない。

 

現役時代は「ずっと我慢」していた

トイレも自分で取り付けた(提供:合同会社EDGE&AXIS)

その世界にいた人間が「地獄」と言う生活が僕にとっては足りなかった。

全然足りなくて、自分で追い込んでは疲れて、チームの練習時間に怒られることも繰り返してました。

あの頃は夢に夢中でした。

今、働きながら何をするにも億劫(おっくう)な理由を持つ生活になり腹が出て、職場に住み込みそこから出ない日々。

夢のないおじさんになりました。

才能を開花させる。
ではなく
才能の限界を知り、才能を超えた力を求める日々。
求める出力が出せずに質を求めて動くけど。
欲する出力がなかなか出ずに、気がつけばたくさんの時間を費やしている。
質を求め、量をこなしてしまった無駄に感じる日々
世界一に足りない技術を埋め合わせするには体力が足りない。
しかし、増える体重。
減らないんです。
食欲が。

我慢我慢。
ずーっと我慢していました。


(内柴 正人=この項目つづく)

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◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
メンバーシップ配信では、今回の道場づくりについても動画をアップ中。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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