【連載「生きる理由」30】柔道金メダリスト・内柴正人氏~東京2020大会 中編

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2004年アテネ五輪男子66キロ級決勝。相手の攻めにも冷静に対処していた

(写真:AP/アフロ)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働き、21年7月の寝技による格闘技大会「QUINTET」(後楽園ホール)では軽量級の団体優勝を果たした。 

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「東京2020大会」中編。初出場で金メダルを獲得したアテネ大会を振り返る。 

 

柔道日本代表の活躍を陰ながら応援している思いについては、後日掲載します。

 

 

アテネでは大先輩2人がアップに登場

初出場のアテネオリンピック。朝の試合前のウォームアップの時に、斉藤仁先生、山本先生に見られながら付け人とアップをしようとしていたら、前日に3連覇を達成された野村忠宏先輩が道着を持ってきて、

「すまん、遅れた。ボクシング会場に行ってもうてん」

と、慌てて着替えてくれてました。 

(なんで着替えてるの?)と思う間もなく、僕と打ち込み。技の確認など、受けをしに来てくれたことは忘れられません。

さらに、中村行成先輩(オリンピック66kg級銀メダリスト)もNHKの解説で現地入りしていて、先輩も遅れて現れて、スーツから柔道着へ着替えてくれていました。 

 

マジか! 

 

ひと世代前のメダリストたちが僕なんかのために。1人は偉業を成し遂げたばかりの人、1人はスーツ姿なのに道着の入ったバッグを持ってきてくれた。 

もう、僕がどうこうというより、アップ会場が2人に注目していました。

 

野村先輩に投げられて勝利を確信

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全日本時代の柔道着(撮影:丸井 乙生)

来てくれた理由は、たぶん僕という後輩がかわいすぎたのかもしれません。心配で来てくれたのかもしれません。 

この朝のウォームアップで野村忠宏先輩に勝負を挑んでぶん投げられて。

「あー、俺って弱いなあ」

だから「きょう、勝てる」と半分確信したことを今でも覚えています。

 

また、中学、高校と日本一になった後に、野村忠宏さんと組み合った時に感じた、本当の柔道を自分のスタイルを捨ててでも手に入れよう、と思えた出会いと自分の判断に感謝しています。 

中村行成先輩は、僕が野村忠宏先輩と勝負したのを見て、「正人、俺もやるぞ!」と準備し始めるので、「無理っす、先輩!」。

試合直前の試合感を高めるために、勝っても負けても1回きりの勝負でやってるのに、中村行成先輩がやる気を出しちゃってるから必死で断りました。

 

ブン投げられながらも稽古をお願いした2人だった

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2004年アテネ五輪男子66キロ級の試合で畳に向かう内柴正人氏

(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

僕が全日本の強化選手に入ってる期間。歳の近い強い選手はたくさんいたけれど、当時のオリンピック選手と比べたら、みんな子どもレベルでありまして、僕はその子どもレベルの日本一。 

同世代とはほとんど練習せずに、ひと世代上の野村忠宏先輩、中村行成先輩とばかり練習していました。相手にならないのにお願いして、ボコスカ投げられて、それを見たコーチは笑い、斉藤仁先生はブチ切れ。

「こっちに入ってくるな!」(子どもレベルの方でやれ!的な) 

自分の夢をかなえることを考えれば、「高校チャンピオンだから」とか、「高校生と大学生だから」と考えることは必要なく、また、大学生同士で強化選手と競い合うなんて時間の使い方はしたくなかったんです。

自分の力が足りなくても、どんだけボコられても、「今、最強」の人たちとだけ練習したかった。生意気だけど、本当に先輩方としか練習しませんでした。 

 

ひらめきとは やってきたことの積み重ねでしかない

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寝技のみの格闘技大会「QUINTET」の2021年7・13後楽園ホール大会で、団体決勝に臨んだ内柴正人氏

(撮影:丸井 乙生)

同世代と競り合ってる暇なんかなくて、早く力が欲しかったんですね。全日本の空気感なんて気にしていられなかった。どんどん、お二人にお願いしまくって。畳に叩きつけられていた若手の僕。 

きっと、先輩方は、

(あの弱い内柴がオリンピックになんて出て大丈夫か?)

心配で道着を持って会場にやってきたのでしょう。 

かわいいかわいい空気の読めない内柴後輩はその日、誰よりも早い試合時間で、そして全試合でそれぞれ異なる技で相手を投げることに成功しました。

 

ひらめきとは、すべてはやってきたことの積み重ねでしかない。

長い時間くすぶっていた期間に練習したほとんどの技が出たに過ぎない、たったの1日でもありました。

(内柴正人=この項つづく) 

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

 

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