【連載「生きる理由」32】柔道金メダリスト・内柴正人氏 東京2020大会後編②~大一番を迎える後輩に伝えた言葉

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つかの間の休日を故郷の海で過ごす内柴正人氏(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働き、21年7月の寝技による格闘技大会「QUINTET」(後楽園ホール)では軽量級の団体優勝を果たした。

 

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「東京2020大会」後編②。柔道日本代表の活躍を陰ながら応援していた思いについて。 

21年6月、柔道日本代表の高藤直寿選手からSNSでダイレクトメッセージが届き、「相談がある」と持ち掛けられた。内柴氏が神奈川県の道場で格闘技の出稽古をしている最中に、高藤選手は現れた。

 

 

本当に彼は来た

「10時過ぎるけど待ってて」

待たせるのも申し訳なくなるくらいにちょこんと。道着に着替えてちょこんっと。

世間で僕はどういうタイプだと思われてるか分かりませんが、意外とそういうところは気にするんです。「待たせて申し訳ない、練習やめようかなあ」なんて。

でも、そこは往復6万円を超えるお金を遣い、たった1泊で2時間の練習のためだけに来ていることを考えると、今の僕にとっては練習が大事です。半端な素人グラップラーですから。

 

練習中、道場にはグラップラーばかりではなく、柔道経験者や先生もいましたので、〝ちょこんと高藤くん〟を放っておくわけがなく。道場の端で乱取りしたり、技を教えたりしてくれ始めたので安心もしました。 

 

日本代表と乱取り

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キルギス共和国の柔道代表総監督時代の内柴氏(撮影:丸井 乙生)

全てが終わって、そこからは柔道家。「よーし、勝負するぞー!」なんて、イメージとしてはみんなが帰った道場で2人だけで2~3時間乱取りをしたかったんですけどね。 

僕も疲れていたし、久しぶりの柔道だから感覚がないということで、緩やかに乱取りを始めてもらいました。当然、みんな帰らないです。まあ、こうなるか。

 

ある程度の妥協と、年老いた昔のチャンピオンな僕。これから大一番の高藤くん。 

一つだけ懐かしい話をすると。

僕が初めてのオリンピックの当日。前日、3連覇を成し遂げた野村忠宏さんが僕のウオームアップに道着を着て、来てくれたんです。さらに、中村行成先輩(オリンピック2位)もテレビの解説で会場入りしてたのですが、道着をバックに忍ばせて「正人、悪い、時間がないけど」とまたもやオリンピックのレジェンドが道着姿。夢のようなウオームアップパートナーでした。 

 

大一番を迎える後輩へ伝えた言葉 

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17年秋、現役時代にランニングをしていた場所で階段トレーニングを久々にする内柴氏

(撮影:丸井 乙生)

約束のない先輩たちの行動は、もちろん僕を励ましました。そんな話をしつつ、軽く乱取りをしながら彼もゆっくり相手してくれてお互いに投げて投げられて。

いろんな話をしました。

コーチは「自分で考えてやれる」と言う、だとか。昔と変わらないコーチのアドバイスを聞いて、僕は笑いながら、

「俺は試合で掛けてもらうアドバイスでさえ、試合前にお願いして何を言うか打ち合わせをしていた」

「練習メニューも、全体の内容はチーム練習として決まってるけれど、その中身というのも、自分で決められるものはコーチに『自分は練習の中でこういう練習をしてる』と手伝ってもらうか、伝わらないコーチには知らんぷりしてもらっていた」

いろいろ話しました。

 

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全日本時代の柔道着(撮影:丸井 乙生)

なんですかねえ、何年柔道を離れても想像を超えることはないんですね。試合が近くなるとベテランはだんだん追い込めなくなってくる。追い込みそのものを無駄に感じてしまうんです。

その心にかかるリミットをぶっ壊す。最後の最後までちゃんと自分を追い込んであげる。

練習して、みんなが帰ってから話して、全てが終わったのが夜中の1時半を過ぎていました。

道場を貸してくれた小見川先輩は

「道場をやってて良かったあ、って初めて思った」

そんなことを言ってくれながら、遅くまで付き合ってくれました。

 

「見たくない」を「応援したい」に変えてくれた 

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オリンピック期間中、職場のテレビは柔道一色(写真:本人提供)

試合前の何でもない1日の話でありますが、今をときめく世界トップの選手が相手をしてくれたとなれば、当然オリンピックは気になります。 

今現在の自分の立場がどうこうという気持ちはありました。

オリンピックなんて見たくない気持ちもありました。

 

でも、やっぱりすれ違い、かすりでもした選手がオリンピックに悩むなら応援したい。そんな気持ちをくれたのが今回、出会えた高藤くんでした。 

前編では「オリンピックを見る・見ない」、そんな話ではなく、一度でも組み合った選手がオリンピックに出るのであれば、テレビはつけます。そうしたら、渋い勝負をしていました。あはは。 

 

素直になれば 

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21年7月13日、QUINTET後楽園ホール大会で軽量級団体優勝を決め、大活躍の森戸新士(前列左)を称える内柴氏(中央=撮影:丸井 乙生)

あの世界の畳の上で一本を決めて勝って、ということがいかにすごいのか初めて知る大会でもありました。彼のおかげで、僕は毎日観戦中であります。

見ないように努力するオリンピック期間を考えたら、それは素直じゃないし、大変だっただろうと思います。好きなんだから、素直になれば簡単ですね。

偶然の出会いから、出会いたい出会いまで、いろんな人に出会って来て、そんないろんな人たちに感謝です。

クインテットにチャレンジしていなかったら、彼が僕に気づかなかっただろうし、試合前に大変な中でも神奈川に行こうとした僕の気持ちにも感謝です。オリンピック、僕みたいな一番知ってる人間が見なきゃもったいない。 

 

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職場である宿泊施設のリフォームをする内柴氏(写真:本人提供)

最後に、高藤くんとの出会いを人に伝えるつもりはなかったのですが、阿部一二三くんについて取材で聞かれていた時、話のついでで高藤くんの話をしたらそれが載ってしまいました。秘密の出会いのはずが……。他に載ってしまったので、自分の文章で書き残しておきます。

 

(内柴正人=この項目おわり)

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

 

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