2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。
これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「めんどくさい話」前編。練習も仕事も「面倒」と言いながらも、一生懸命やってしまうという人柄。現役時代、そして現在の「めんどくさい」についてつづった。
必ずやるからこその「めんどくさい」
現役の頃、自分に課題を作って、それをこなす日々によくつぶやいていた言葉が「めんどくさい」でした。
面倒と言っていても、絶対やるんですけどね。
今は風呂屋になり、機械のメンテナンスが基本の日々。
「めんどくさい」ことばかり。
この「めんどくさい」は直し方が分からない、原因が分からないという「めんどくさい」。
これを毎日磨いておけば、先を計算して使える(=技)とあらかじめ分かっているものではなく、何をどうすれば答えが出る(=修理完了な)のか分からない。
そんな「めんどくさい」なのです。
「めんどくさい」と言いながらも ちゃんと調べる
パソコンを開く。その機械のメーカーやら品番やら打ち込んで探す。
YouTubeで専門の人が小出しにしてる修理のポイントを見る。
まず、パソコンを開くのが面倒。
品番を調べるのが面倒。
結果、検索しても出てこない。
もー。
会社の大先輩に聞く。
最悪、店に来てもらう。
この繰り返しです。
怒るということ
この会社に入って勉強した一つに、「大先輩は怒らない」ということがあります。
いつもニコニコ。その時々で老朽化した箇所で、どうやって直すか分からないものであっても、大先輩はどうにかして直すのですが、相方の僕が〝使えない〟ことが多いんです。
体の入らない隙間にどうにか入って、手の入らない隙間に手を突っ込んで作業することもあり、反対側の隙間からさらに隙間に入らないような体型の僕がどうにか入って一緒にやってる時にも〝使えない〟。
柔道の世界なら「使えねーな!」の一言は必ず言われる場面でしょう。
どんなに大変な時も怒らず、イライラの素振りも見せず、作業を教えながら進めてくれる。
「まず基本」
僕も先生をしていた時に――世間のイメージは相当悪いだろうけれど、僕は先生の怒りに反応する人が嫌だったので、人を怒ってどうにかしようという考えがありませんでした。
それでも、イライラしたりすることは多かった。
柔道の素人は簡単な正しい技術を「難しい」と反復せず、楽な技でその場限りでも勝てればいい柔道をする。
まず、基本をやろうよ。
中学は中学の柔道、高校生は高校生レベルの柔道、大学は中高で学んだものを…なんて、しおれていく練習ではなく、大学レベル以上の練習をしなきゃね。
本人が気づいてくれることが大事
これを理解させるには、怒鳴って怒ってプンプンしていれば選手はやるのでしょう。
そんな先生がいると、学生を連れて見に行ったものです。練習が終わり、話をする。恐怖で選手に練習をさせて強くなって何が面白いのだろう。
基本は必要なもので、それをやれば勝てると気付いて、面倒ながらそれらの反復をやり続けた結果、できるようになって強くなる方が意味あるじゃん。
そんな話ばかりしていました。
当時は、「厳しさこそ指導の全て」志向をバカにしてました。
もー、バカにするバカにする。
バカにしていたら今、僕が修理でこんなにも〝使えない〟感じです(笑)。
今、仕事が変わってマネジャーをしていますが、人のシフトを決める時にこの感じがまあまあいい感じで役に立っています。
(内柴 正人=この項つづく)
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うちしば・まさと
1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。
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