【連載「生きる理由」59】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「結婚記念日の話」前編~指輪はゴムひも製だった

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世間に帰ってきてから石垣島で知り合った知人たちが、結婚祝いにボトルを贈ってくれた。20年1月、キルギスから帰国後に手にして感激
(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「結婚記念日の話」前編。

18年3月に婚姻届を提出した夫人とは結婚から丸4年を迎えた。
仕事がない時期に結婚し、共にキルギスへ渡り、言葉も通じない異国の地で柔道の指導、そして子育ても一緒にしてきた。
現在は、内柴氏がマネジャーを務める熊本の温浴施設でスタッフとしても働くなど、公私ともに支えてくれる夫人に感謝の気持ちをつづった。

 

 

 

結婚4周年

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18年3月に結婚したばかりの頃、内柴氏がなけなしの小銭で夫人に買った指輪。雑貨店で購入したもので、ゴムひも製だった
(撮影:丸井 乙生)

きょうは結婚記念日。結婚何年目だっけか。

 

妻は、僕が世の中から消えている間に柔道整復師の免許を取りに専門学校へ行っていました。

将来、僕と結婚する約束はなく。彼女は彼女で生きていく。

そんな気持ちであったそうです。

 

結婚した時期は何もない状況だった

当時の僕は、自分が今後どうすることが一番落ち着くのか、わからないでいました。


何となく決まっていたのかもしれないのは、近くにいてくれる人は過去の失敗についてもいろんなことについても、知らんふりしてくれる人でないと耐えられなかったかな。
一緒に言い訳もしてくれなくていい、僕の味方をしてくれなくていい、と思っていました。
それは今もそう。

 

弟子にいろんな経験をさせてあげたいが…

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18年春、結婚したばかりの頃の内柴氏(撮影:丸井 乙生)

僕には、柔道の練習に行ける道場がありません。

 

どういう区別なのか、さっぱり分からない。

焼肉屋に行けば肉を食べられるし、公園に行けば散歩もできる。

役所に行けば住民票をもらえるのに、地域にある学校の柔道部の道場でさえも入ってはいけないんです。

 

だから、自分の仕事場に道場を作って遊んでいるんですけどね。

それでもやっぱり、ほかの人とも練習してみたいじゃないですか。

 

また、一緒にいてくれる普通の大学生にも、僕と練習するだけでは(立ち位置が)どんなもんか分からないから、その子とどこかの道場へ行って練習をさせてみて、いろんな話をしたいんです。

それができないのが現状です。

 

穏やかに現状を越えていくパートナー

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20年10月に格闘技イベント「QUINTET」に初出場し、そのファイトマネーで約2年遅れの結婚指輪を購入した
(写真:本人提供)

こういう状況を一緒にのんびり越えていけるパートナーが今、一緒にいる妻です。

柔道界で区別される僕と一緒になってしまって、彼女まで柔道をする場所がない。

彼女がまだ、僕と一緒になる前、地元でバイトして、学校行って、その生活にプラス出身道場へ指導に行き、生徒に教えていたそうです。

その中学の男子は、県大会で団体優勝しているそうです。

 

夫人に申し訳なく思うこと

僕が世の中から消えてから、妻は一度は柔道を辞め、引きこもりになって、道場の恩師とかみんなに心配されて道場に行くようになったと聞いています。

それで教えるようになって、今もその頃の選手が高校や大学に進学し、遠く熊本から応援している彼女を見ると申し訳なくも思います。

この地域では、今でもうちの妻が一番成績がいいかな。
そんなお互いの柔道に惚れている部分は昔からあります。

 

(内柴正人=この項つづく)

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

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