【連載「生きる理由」67】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「ショックだった出来事」②

2020年1月の結婚式で、地元・熊本へ戻って現在の職場で働くことを列席者に報告
(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「ショックだった出来事」第2回。

半年ほど前、監督を務める後輩から頼まれて大学で少しだけ指導したところ、上層部からストップがかかったという。そのこと自体は覚悟していたが、教える内容と選手のミスマッチも感じていた。
差別・区別される悲しみを受け止めながら、「教わりたい」と希望する子どもたちを対象に練習会を開き、一流の技術を伝えている。

 

 

 

教える時は技術だけを伝える

キルギス共和国で指導した選手たちからは、定期的にテレビ電話で連絡がくる(写真:本人提供)

経験上、死ぬ思いをする勝負の世界が存在します。
勝負していた時代の苦しみに比べたら、僕にはこの世に死ぬほどつらいことはもうありません。
その世界に僕はもういないので、今が一番楽。
今は仕事さえしてればいいのです。

 

その死ぬほど苦しい世界に、教えた選手が飛び込めるとは思えないから、頼まれた時は技術だけを教えます。

その中に、少しは根性論も入る。
なぜなら、技術に気持ちを込めるから人を投げられるのだから。
でも、それを強制的にやらせることもしない。
なぜなら、そのレベルにないから。


「技には気持ちを込めるものだよ」
その程度です。

 

技術を身につけるには「心」も必要

海は潜るのも得意。現役時代はよくサーフィンをしていた(写真:本人提供)

技をつくる打ち込み。
その打ち込みに心をこめて、ていねいに強く大きくやるようにするだけで、これまで以上に強くなれるものなんです。
そういう意味では気持ちの話もします。

これが嫌われるんですね。

僕は思うんです。
柔道に対してその気持ちの持ち方では、この選手は絶対に目標の半分も達成できない。
かわいそうだなあ。

しかし、知ってるんです。
目標なんてかなわなくても、この温度で柔道をのんびりやりたい。
そんな柔道部もあることを。

 

いろんなことがあるのは覚悟している

後輩監督とは今でもやりとりしていて、メールで会話する中で「八流柔道部」というキツイ冗談を書いて送っているのに、全然突っ込んでくれないんです。

そんな口の悪い僕の柔道論を彼はまじめに聞いてくれるのだけど、その現場に僕はおらず。
もどかしいけれど、見ない方がいいのは経験済み。

これからもいろんなことがあるのでしょう。

 

「一生、柔道を好きでいられる方法を教える」

20年1月から故郷・熊本へ夫人と共にUターン移住。仕事を始めた時期に世界中がコロナ禍となり、仕事を覚えながら日々イレギュラーな出来事に立ち向かった(撮影:丸井 乙生)

さて、うちに通っている子どもたちの話。

目の前にいたら教える。
ばかていねいに教える。
子どもに伝わらない、難しいことを簡単に教える。
いや、難しく教えてる。

 

「俺にかかわるといじめられるぞ」とも言う。
それでもよければおいで!
一生、柔道を好きでいられる方法を教えてあげる。

 

(内柴 正人=この項つづく)

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信開始

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に週1回開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。

 

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

MasatoUchishiba

 

 

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