【連載「生きる理由」69】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「自分のためには頑張れない話」

熊本の一部で栽培されている珍しい「白ナス」を手にする内柴正人氏(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「自分のためには頑張れない話」第1回。

小学校時代から寮に入って練習に励み、以来毎日トレーニングと稽古に明け暮れてきた。
その原動力は何だったのか。
本人が幼少時代から振り返ってつづる。

 

 

 

 

うれしかった全国準優勝 しかし周囲は…

「60キロ級で世界一になる」。
その大きな目標に向かう中、中学2年の時に全国2位になりました。
僕は超うれしい。
初めてのトロフィー。
初めて、全国大会で上まで上がった。
やったあ。

 

でも、帰りの新幹線で恩師が悔しがり、父はそれに合わせているのか、よく分からない。
うれしくない?全国大会2位なのに、何なんだ!

そう思った。

 

小学校時代の全国初出場は全敗

熊本県八代市の名物「晩白柚(ばんぺいゆ)」。バレーボール大ほどもある柑橘類で、皮をむくにはひと手間かかる(写真:本人提供)

小学生の頃にいた道場で、団体では全国大会3位の経験をしました。
その大会では全部負けた僕。
初の全国大会後に、僕は学校を1週間ほど休みました。
練習に行かない方法は、学校を休むほどの体調不良しかないと思ったから。

本当に寝てた。
ずーっと寝てた。

ある日、道場の先生がずかずかと家に上がってきて、僕の部屋に来るなり、「ウソ風邪はやめろ」から始まり、試合で役に立たなかった話について「全国に出て分かっただろう。お前があの試合に出た中で一番弱い」と叱られました。
心の痛いところを踏みにじられた思いでした。

 

日本一になったら柔道をやめようと思っていた

内柴氏はバーベキュー好き(写真:本人提供)

そんな地獄な全国大会初出場から比べると、中学生になっての全国大会は個人戦で決勝まで勝ち上がれたのだから、一番弱くないし。2位ですからね。

僕はめっちゃうれしい。
けど、なぜか引っかかる。
恩師が悔しがっているから。

 

うーん。あと、もう2回あるしな。
ということで、1年かけて日本一になろう、と決めたのでした。

 

翌年、日本一になりました。
この頃に思ったのは、
「こんなバカバカしいこと、大人になるまでやってらんないよ」
「日本一になったらやめる」

心ひそかに思っていました。

 

「誰かのため」に頑張っていた

夫人が七輪で肉を焼いてくれることも。日々の食事が楽しみ(写真:本人提供)

結局、大人になるまでこの生活を続けていました。

これは、自分のためにというより、いつも誰かのためでした。


恩師のため。
父のため。
妻のため、子どものため。
不真面目な兄のため、妹のため。

 

僕が大学生の頃、2人目の母が家を出ました。
その母の連れ子だった弟は当時高校生。
父の子ではなくなるわけです。

 

弟の進学費用を支払った

そこらへんの事情もよく分かる僕。

弟が高校3年生の時の進路について、父にお伺いをしました。
ちょうど、僕は大学を卒業し旭化成に就職が決まっていた時期でした。

「(弟が)お父さんの子どもではなくなったことはよく分かる。お父さんの気持ちとしても、学費や生活費の面倒をみたくてもみられないこともよく分かる。
僕が(弟の)大学での生活費等の面倒をみるから、大学に行かせてもいいか?」

なぜなら、僕にとっては今でも弟だから。
僕らが兄弟となった理由は親と親が結婚したから。夫婦の縁は切れたからと、切れる兄弟の縁ではなかった。

 

自分のためには頑張れない

学生弟子と柔道の話をしているうちに、暗闇の中でもついつい実際に組んで教えることになる
(写真:本人提供)

この弟の面倒をみることがどれほど大変だったか。
加えて、どこかから借金してくるし、それが判明する頃には金額が――旭化成時代の柔道の賞金でいうと、1回日本一になるくらいの金額。

日本一、そんなに簡単じゃないからね。

それでも弟には、僕が経験させてもらったくらいの学生生活を送らせてあげたかった。
そのためにはお金が必要。最低でも日本一。

その後は最低、世界一。
これも、人のために頑張っていた思い出があります。

 

僕は、自分のために何かを頑張ることができないのです。

僕が僕のためにしたいこと――何にもしたくない、頑張りたくない、動きたくない。

昔から一番楽しいことは、家の居間で毛布と枕をセットしてテレビを見ていることが何よりも好き。


(内柴 正人=この項おわり)

 

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信開始

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に週1回開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。

 

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

MasatoUchishiba

 

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