【連載「生きる理由」⑦】柔道金メダリスト・内柴正人氏が味わった五輪 寂しかった国家間の対立

内柴正人

2020年秋、柔術の練習に臨む内柴正人氏(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇し、17年に出所した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーとして勤務している。 

出所後は数年間の模索期間を経て18年からキルギス共和国の柔道総監督に。19年秋に帰国した後は、柔術と柔道の練習をしながら社会人として働き始めた。

 

今夏に開催されるかもしれない東京オリンピック・パラリンピックについて、五輪を連覇した内柴氏は今、何を感じているのか。

2020年2月の柔道グランドスラム・テルアビブ大会では、男子81キロ級のサイード・モラエイ(モンゴル)が準優勝。イスラエルと敵対関係にあるイラン出身で、国家間の宗教的な対立から当時はイスラエル選手との対戦が事実上、不可能となっており、19年にモンゴルへ亡命していた。

内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回はその「イスラエルとイランのお話」。五輪の試合直前の心構えとともに、その国家間の争いで対戦できなかった選手への思いについて。

 

 

体力も技術も のりしろを準備して臨む

僕がこのことを知ったのは(2004年アテネ)オリンピックに初めて出場した時の前日でした。

すべての準備を終え、いよいよあす試合という時に66キロ級の組み合わせ表が配られます。コーチが組み合わせ会場からもらって来てくれて、それを持ってきて何かを気にしている。

僕にとっては、試合の前日に上がってくるトーナメント用紙。僕はいつも見ません。理由はどの選手とどこで当たるだとか、優勝するまでに誰を倒さなければならないだとか考えるのは無駄だと思っています。

 

金メダルが欲しいわけで、そのためにはトーナメントをすべて勝たなければならない。誰とどこで当たろうが、気にしてもすぐに負ければ終わりだし、目当ての選手に勝ったとしても、その次で負ければ意味はない。 

誰とどこで当たっても、どの順番で試合したとしても、計算なしですべて全力で勝ち切ると思ってやっていました。 

もちろん、ズゴーンと投げる技がない僕には足りないセンスだとか、限界を超えた後に全力を出す根性なんて持っていないから、試合までにする準備は途方に暮れるものです。 

それでも、準備不足で負けたり、最後の減量での微調整が出来ずに調子が悪いってことも考えて余裕を持った体力。ほかに、いらない技術もたくさん準備してはいます。

ここまでやりきって準備したのならば、持ち合わせてない根性もそれなりについてきてくれていたと今なら思えます。 

 

大会前日のミーティングは”静と動”

そんな大会前日。夕方より少し前。 

斉藤仁先生と山本洋介先生が二人して、選手村の僕らの部屋にトーナメント用紙を持ってきました。普段の試合なら部屋のドアの下のすき間から用紙を滑り込ませて去っていく先生も、あすはオリンピックともなると少し気持ちも高揚して、いつも以上に責任を感じてるのかもしれません。

 

しかも、斉藤先生は国士舘大学からの先生。対して、山本洋介先生は何もアドバイスしない。当時の僕からすると、何も言わないから“ちょうどいい”感じの先生でした。

斉藤先生は、僕に事細かく作戦を作らせる。試合直前に「内柴!次は誰だ!○○だから、作戦どうする?」と聞かれるので、例えば――

右の変形で飛び込んでくるから組手を厳しく背中を持たせない、持たれたら背中で切る。相手に対して正面を向きながら、それでも斜めを向くから小外刈りを使って正面を向かせる。飛び込ませないように二つ組む。 

なんて、当たり前の会話をしながら、斉藤先生とのミーティングは終了。山本洋介先生はそれをお母さんの表情で見ているのでした。 

大学の教え子であっても、全日本では担当コーチは山本洋介先生なので、コーチボックスに座るのは山本先生。斉藤先生は観客席から叫んでくる。試合中、観客席からの斉藤先生の声通りに動けるのは、世界で僕だけだったでしょう。 

 

最強の優勝候補が五輪欠場の一報

オリンピック。なんか、空気が違うらしいです。僕は初めて出た時、初めてなのに「やっとここに帰ってきた」感覚がありました。知ってる感じ。 今思えば、人生をかけてオリンピックのためだけにやってきたから、自分の中で作り出したデジャブなんでしょうね。 

世界でどんなに強くてもオリンピックだけ負ける人なんて、これまでもたくさんいます。普通は普通でいられないことを知っているコーチ達。そんな空気をやわらげようと、2人は来てくれたのだと思います。それと、最強の優勝候補が大会を欠場するという、めったにない話もしながら。 

ただ、その時の僕としては、早く2人に部屋から出て行って欲しかったのです。実は、減量でまだ体重が落ち切っていなかったんです。

(この項つづく)

  

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。 

 

 

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