【連載「生きる理由」⑧】柔道金メダリスト・内柴正人氏が味わった五輪 アテネ前日は〇キロオーバーだった

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アテネ五輪について振り返った内柴正人氏(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーとして勤務している。 

出所後は数年間の模索期間を経て18年からキルギス共和国の柔道総監督に。19年秋に帰国した後は、柔術と柔道の練習をしながら社会人として働き始めた。 

今夏に開催されるかもしれない東京オリンピック・パラリンピックについて、五輪を連覇した内柴氏は今、何を感じているのか。

初出場したアテネ五輪で、実は試合前日まで体重オーバーだったという。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「試合直前の減量」について。

 

 

実は3.2キロオーバーだった

60キロ級の時は70キロくらいから絞っていたし、オリンピックに出た階級の66キロ級ではいくらか楽になったけれど、長年減量し続けてきたせいか、減量をする根性をなくしてしまっていたのです。 

大会前日、69.2キロ。あと3.2キロ絞らないと試合に出られない。最後の調整練習をやるにも、疲れてしまってストレッチすらやりたくない。 

さあて、今回はどうやって落とそうか。  

 

開会式の待機時間でさらに3.6キロオーバーに

オリンピックは開会式があります。柔道の人はジンクスが大好きですから、いつかのオリンピックの時、勝てる見込みのない選手が開会式に出たから優勝した、という話を聞いたことがあるんです。聞いたというか、頭数合わせに出ろ。的な話でしたが(笑)。

勝負に大切なこと。何でも受け入れ、それに対応する。要らないと思うことも。

これが身についてますから、開会式に出たんです。

 

でも、出て、失敗。

スタジアムに入るのに何時間も待ち、開会式が始まって終わるまでは牛歩のように終わらず。帰りは競技場にわんさかいろんな選手がいる状態から、早い者勝ちで外にあるたくさんのバスに乗り込み、選手村に着いてもポディチェックゲートを通過するまでに待たされる。

帰ってくるの夜中なんです。で、朝には調整練習。オリンピック開幕2日目が僕。1日目の野村忠宏先輩は絶対に出なくていい日。

「内柴、どうする?」

選択を任されたら、面倒くさい方を選ぶ僕。何時間もかかる開会式の間にのどが渇いてダイエットコーラを1本飲んでしまった後悔。

結果、朝起きてみると試合前日の朝に3.6キロオーバー。 

 

付け人だけが知っていた

日本チームがそろえてくれた現地の練習場所にサウナもあるのですが、サウナで少しでも落とそうとすると、分かっていたことですが、たくさんのコーチたちが汗を流しに来る。そうすると集中できないわけです。その時は話しかけて欲しくないわけです。

というより、結構な体重オーバーなので心配をかけたくないのです。

 

もちろん、「おう、今何キロだ⁉」なんて聞かれます。即、「はい、500アンダーです」なんて答えて、実は3キロもオーバーしてるなんて言えない。3キロオーバーでも脂肪があるわけではないですから、落ちてるって言っても分からない。

そして、何もしてないのにふっらふらで、午前中の最終調整を終え、選手村に帰るのです。コーチにはふっらふらな様子を見せないようにして。

ただ1人、付け人をしてくれている会社の後輩だけはそれを知っていて、僕がどれだけこれにかけているかも知ってる中、付け人とはここでお別れするわけです。

 

付け人(寺居ちゃん)涙目。

ここから地獄の水抜きをして、次の日に会場で顔を合わせた時、決勝で勝って会場から控え室に帰って顔を合わせた時に付け人くんは涙を流すのです。

はは。 

 

体重オーバーは”もったいない”思いから 

体重調整で普段から絞ってても、直前にここまで動けなくなるまで落ちない筋肉が憎らしいのですが、そのギリギリを攻めるのも本当はしんどいんですけど、世界の筋肉ばかりの選手に技だけでは太刀打ちできないこともあり、僕も当たり前な技術だけでなく、フィジカルも世界一になろうと鍛えたものでした。

 

最後の最後につけたその筋肉をギリギリまで落としたくないという、もったいない思いから減量失敗だとかがあるのですが、どんなに調整失敗しても体重計に乗ってパスしたならば…。

本当に減量失敗していたら、試合中に眠い。息が上がるから何もしたくない。身体がつりまくり。本当に失敗していたら、オリンピックであっても力が入らないでしょう。

だから、失敗しないように午前中は何も出来ずに終わって、一度仕切り直し。

選手村に帰って1回寝れるだけ寝て、目覚めの一発目の走りでどれだけ落とすか。その後、どれだけ落とすか。しかもオリンピック。

 

最後の減量。最後の試合かもしれない。

――って部屋に帰ってから寝ていたら、できたてほやほやの試合の組み合わせを持ってコーチ2人がやってきたのです。

 

(内柴 正人=この項つづく)

   

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。 

 

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