【連載「生きる理由」⑨】柔道金メダリスト・内柴正人氏が味わった五輪 国家間の争いを目の当たりにしたアテネ大会

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キルギスの柔道総監督を務めていた頃の内柴正人氏(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーとして勤務している。 

出所後は数年間の模索期間を経て18年からキルギス共和国の柔道総監督に。19年秋に帰国した後は、柔術と柔道の練習をしながら社会人として働き始めた。 

今夏に開催されるかもしれない東京オリンピック・パラリンピックについて、五輪を連覇した内柴氏は今、何を感じているのか。 

2020年2月に行われた柔道のグランドスラム・テルアビブ大会では、男子81キロ級のサイード・モラエイ(モンゴル)が準優勝。イスラエルと敵対関係にあるイラン出身で、国家間の宗教的な対立から当時はイスラエル選手との対戦が事実上、不可能となっており、19年にモンゴルへ亡命していた。

内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は初出場した04年アテネ五輪で目の当たりにした国家間の争い、「イスラエルとイランのお話 最終話」。試合前日にできあがった試合の組み合わせを手に、コーチが部屋に入ってきたところから。

 

最強の優勝候補が 確信の計量脱落

 「内柴!組み合わせ決まったぞ」

「イランとイスラエルが1回戦で当たってるよ」

「(国同士が対立しているイランの)ミレスマイリ、どうするのかなあ?」

僕は走るための準備をしてることも隠しながら話を聞く。

(早く帰ってくれないかなあ)

答えから言うと、ミレスマイリ(イラン)は体重オーバーで失格という形を取りました。当日、僕が計量会場に行くと彼は先に来ていてアイスクリームを食べていました。66キロ級で72キロだったとか。 

きっとチャンピオンクラスは筋力、技術、減量だとかギリギリのところを4年に1度の1日に合わせているのに(どうにもならないこともあるけれど)、最後の一番苦しいところを妥協できるなら妥協したい。でも、そこをくぐり抜けないと舞台にすら立てない。だから、欠場するならば計量で失格するのが一番簡単だろう。

 

僕が試合前の減量のことを書いた(連載⑧)のも、それが理由です。

本当に寂しかったです。彼は前年の世界選手権で連覇していて、そのオリンピックの優勝候補筆頭だっただけに残念でなりませんでした。だから、いつかミレスマイリと試合をしたら絶対に負けてやらないと心に決めました。  

 

のちに対戦…「世界王者」の座を死守

のちに、翌年の世界選手権とその4年後の北京オリンピックのトーナメントのどこかで彼と試合をしています。負けてあげませんでした。徹底的に彼の強いところを出させないで僕の流れを譲らないで、勝たせてもらいました。 

オリンピックはスポーツの平和の祭典なのに、国と国の関係で戦えないって何だろうなあ、と考えさせられた大会でした。

アテネオリンピックから4年後の北京オリンピックで彼とトーナメントのどこかで試合をした時なんて嬉しかったですもん。ここで彼が勝てば、4年前に僕の世界一が戦ってもいない彼のものになる。僕が勝てば、4年前も今回も僕の方が強かった。そんな意地の張り合いが面白かったです。絶対に負けないモノがあったから、そう思えたと思います。

 

もしも今 五輪代表だったら

2020年、イランの選手が国の関係で欠場するように圧力を受けたとか負けろと言われただとか。それで国籍をモンゴルに変えたという話がありました。やっぱりそういう話があるんだな。悲しくも懐かしいと思い、この話を書いてみました。

20年はオリンピックが延期になったり、今年もあるのかないのか分からない。そんな中、僕だったら山ごもりをして、世間とのつながりすべて絶って、その日を信じて練習をするだろう。

柔道をしなくても生きられることを知った今、まだ若かったならばキリよくやめるのか。純粋に努力と才能の比べっこだけで勝負ができた時代に戦えたことをありがたく思います。 

ミレスマイリ(イラン)、今はイランですごく偉くなっているそうです。柔道をしながら人生を見つめていた時、キルギス共和国の柔道協会で指導をしている時に国際大会に行って知りました。 安心安心。 

(内柴 正人=この項おわり)

   

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。 

 

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