1964年東京五輪の金メダル第1号になれるのはこの男1人しかいない。
1964年東京五輪、桜井孝雄はボクシングバンダム級で金メダルを獲得した。
その後2012年ロンドン五輪で、村田諒太がミドル級で金メダルを獲得するまで、日本ボクシング界唯一の五輪金メダリストだった。
後進の育成に取り組んでいた桜井なら、涙ぐんで喜んだだろう。しかし桜井がその瞬間を目にすることはできなかった。
金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
独学でボクシングの技を磨く
千葉県佐原市(現・香取市)に生まれた桜井は、野山を駆け回って育った。
高校でボクシングを始めると、指導環境が十分ではない分、独学で技を磨き、バンダム級でインターハイ優勝を果たした。
全国の大学からスカウトが殺到する中、桜井が選んだのは当時大学選手権4連覇中で圧倒的強さを誇っていた日本一の大学・中央大学ボクシング部だった。
名門に進学後も強さに磨きをかけ、全日本アマチュア選手権連覇などの実績を携えて、東京五輪に挑んだ。
「打たせずに打つ」
64年東京五輪は、強敵・ロドリゲスとの準決勝を接戦で制し、決勝では、座右の銘「打たせずに打つ」の通り、鄭申朝から4度のダウンを奪い圧勝。日本ボクシング界初の金メダルに輝いた。
後世に残る大活躍
その後アマチュアからプロに転向し、破竹の勢いで22連勝を成し遂げた。
68年には、日本武道館にて、当時のバンダム級王者・ローズとの世界タイトル戦に挑み、2回に左ストレートで王者からダウンを奪うも、僅差で判定負けを喫した。
69年には東洋タイトルマッチでチャンピオンベルトを獲得し、2度の防衛も果たしたが、世界タイトルには挑戦すらできず、71年に引退した。
最終戦績は、アマ:138勝45KO13敗、プロ:30勝4KO2敗と、後世に残る大活躍であった。
ボクシングを一般人にも
96年には、東京・築地にボクシングジムを開設し、プロの選手のみならず、一般人にもボクササイズを教え、ボクシングの普及に力を入れた。健康志向の高い人や趣味を探している人に、新たな選択肢としてボクシングを提供した、これも大きな功績だろう。しかし病に倒れ、五輪金メダリストの誕生を熱望しながらも食道がんのため、2012年1月10日 70歳で亡くなった。
まさかその7か月後、ロンドン五輪で桜井の悲願が達成されるとは……。
天国から村田にエールを送ってくれていたと信じて。
(mimiyori編集部)