金メダル“獲得”と“紛失”の2つの偉業を成し遂げた。
1964年東京五輪・レスリングフリー・フライ級で、吉田義勝は金メダルを獲得した。しかし、栄光の金メダルは予想外の旅に出ることになる。なんと吉田が電車の網棚に置き忘れ、4日間行方不明となったのだ。
金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
聖火リレー中止~57年越しの悲願達成ならず
聖火リレーへの参加は叶わなかった。金メダル獲得から57年の月日を経て、次は地元・北海道の舞台で吉田は輝く予定だった。
しかし、北海道の聖火リレーは新型コロナウイルス感染拡大の影響により、公道でのリレーが全て中止となり、点火セレモニーのみが行われた。一生に一度であろうチャンスを目前に、200人近くのランナーが涙をのむこととなった。
だが、今年80歳を迎える吉田が、今も地元のヒーローであることには変わりない。
ライオンとにらめっこ・寒中水泳で精神修養
日本レスリングは戦後復興の象徴として数多くのメダル、数々のドラマを生み出してきたが、1960年ローマ五輪では金メダルゼロに。母国開催で結果を残すべく、日本レスリングの父・八田一郎氏の破天荒トレーニングが始まった。
精神修養と題して導入されたのが、動物園でライオンとにらめっこに寒中水泳。
今の時代なら時代錯誤だとか、パワハラだとか言われてしまいそうなメニューだが、少し見てみたい気もする。ガタイの良いレスリング選手が仁王立ちでにらむ先にはライオン……想像するだけでニヤッとしてしまうが、選手たちは本気で臨む。ライバルと相対する戦場では、精神的に弱く脆いものは相手にもされない、五輪もそんな場所だとみんな分かっているのだ。
ただ、何をもってトレーニング完了となるのかは気になるところだ。にらめっこだから、ライオンを目力でそっぽ向かせたら勝ちとか?
アルバイトをしながら全日本優勝!五輪前日に高熱
そんな過酷な練習をアルバイトと両立させていた苦労人がいた。
吉田だ。定時制高校時代から日大入学後も両立を続け、五輪イヤーの全日本選手権でやっと初優勝、五輪への切符をつかみ取った。
だが、まだ試練は続く。
1964年東京五輪の試合前日に高熱を出したのだ。まさか前日に寒中水泳していたのか…
八田流修行の真価!金メダル紛失劇はまだまだ続く
やっとの思いで東京・駒沢体育館の舞台に立った吉田は、相手に付け入る隙を与えず、ライバルのアリエフ(ソ連)やチャン(韓国)を打ち破り、見事金メダルを獲得した。
ほかにも日本レスリングは4つの金メダルを獲得し、八田流修行が実を結んだ。
その後吉田は日大の卒業式に向かう電車の中で、金メダルを網棚に置き忘れる。失態なのか、偉業なのか、ただ無事に金メダルが生還して本当に良かった。
約30年後、同じくレスリング金メダリストの小林孝至が同じ過ちを犯すとは……神のみぞ知る。
(mimiyori編集部)