【五輪金メダリスト連載】後にも先にも彼1人~レスリング日本男子初の五輪連覇 フリーバンタム級・上武洋二郎

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三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

度重なる幸運も、天からの贈り物か。

1964年東京五輪レスリングのフリーバンダム級で金メダルを獲得した上武洋次郎は、続く68年のメキシコシティー大会でも脱臼しながら連覇を成し遂げた。オリンピック日本男子レスリング界での連覇は、今でも上武ただ1人である。

 

金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。

 

 

東京五輪に続く左肩脱臼

4年前に外れた左肩は完治していなかった。

初出場した64年東京五輪。決勝リーグで脱臼しながらも金メダルを決めた上武の姿は、五輪初開催に沸く日本人の心を刺激した。

68年、舞台は変わってメキシコシティー。7回戦、強豪タレピ(イラン)との対戦で大技「飛行機投げ」を狙った上武は、再び左肩を脱臼した。

 

しかし、またもや超人ぶりを見せた。

第2ラウンドもバックを取られるなど劣勢に陥るものの、果敢に右肩でタックルに挑み、相手を1回転させて同点に追いつく。第3ラウンドで再度脱臼しながら、何とか引き分けに持ち込んだ。

米国仕込みの頭脳派レスラーは、はじめから脱臼を想定していたのかもしれない。

 

次の試合が…ない!? 連覇達成は想像もしない形で

タレピ戦が終わると医務室に直行。

激痛に耐えながらも、次戦に備えて上武は入念な準備をしていたに違いない。

 

しかし、ここで幸運が舞い降りる。

 

続く試合の強豪たちに失格が相次ぎ、勝ち残りが上武ただ1人になったのだ。

この時点で2大会連続の金メダルが確定。

タレピ戦との戦いが金メダルを決める試合になるとは本人も思いもよらなかっただろう。次戦、その次と見据えて脱臼と共に戦った姿勢が頂を引き寄せたのだった。

 

本大会は、軽量級トリオが2大会連続で「同日金メダル3個」を達成する華々しい大会。そんな中、お立ち台には左腕を白い布でつった状態で登場。「もうレスリングはやれないでしょう」とけがの深刻さを明かした。

 

レスリング日本男子初の五輪連覇を達成。後にも先にも上武だけだ。

 

米国&国際連盟殿堂入り

69年は婿入りする形で「小幡」姓に変え、さまざまな活動にいそしんでいる。

72年ミュンヘン五輪では代表コーチ、76年モントリオール大会では監督を務めると、98~2001年には地元に近い栃木県は足利市の教育委員長にも就任。

14年には母校・群馬県館林高校のレスリング部コーチになるなど後進の育成に尽力している。

その傍らで、地元・群馬の「ニューミヤコホテル」で代表、会長を歴任した。

 

68年にオクラホマ州立大を卒業したことから、80年には米国レスリング協会の殿堂入り。05年に日本人で当時2人目となる国際レスリング連盟殿堂入りを果たした。

(mimiyori編集部)

 

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