【五輪金メダリスト連載】輝かしくも複雑な金メダル~1936年ベルリン五輪男子マラソン 孫基禎

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三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

1936年ベルリン五輪には輝かしくも、手放しで喜べない金メダルがあった。

男子マラソン・孫基禎は、アジア人初のマラソン金メダルを獲得した。当時日本の植民地だった朝鮮出身で、日本代表として出場。戦後は韓国マラソン界の発展に寄与し、88年ソウル五輪では開会式の聖火リレーに登場した。日本男子マラソン界にとって最初で最後の栄光でありながら、孫や故郷の人々は複雑な思いを抱えていた。

 

金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。

 

 

日本新記録!目指すは2個目の五輪金メダル

あの金メダルへ、また一歩近づいた。

2月28日、男子マラソンで日本新記録の2時間4分台が飛び出した。鈴木健吾がびわ湖毎日マラソンで、2時間4分56秒の記録を樹立したのだ。さらに5選手が日本歴代10傑にランクインするなど熱戦が繰り広げられた。

 

ここ3年、日本記録が毎年のように塗り替えられ、日本男子マラソン界への期待が再燃しているが、五輪での金メダルははるか昔の一度きり。聖火リレーが初めて実施された1936年ベルリン五輪でのことだった。

 

幼少時から鍛えた足

その金メダルを獲得した孫基禎は当時、日本の統治下にあった朝鮮・平安北道新義州に4人きょうだいの末っ子として生まれた。

小学生の時から走ることが得意で、6年生にもなると、大人も参加する地元の陸上競技会に参加するようになった。

19歳の時には新義州代表として、ソウルのマラソン大会で準優勝も果たした。

 

前年の世界記録で五輪代表に

23歳の時に転機が訪れた。

ベルリン五輪最終予選となった明治神宮競技大会で、2時間26分42秒という当時の世界新記録で優勝を果たし、日本代表に内定したのだ。

迎えた翌年のベルリン五輪では、五輪新記録となる2時間29分19秒を樹立し、日本マラソン界に初の金メダルをもたらした。

 

胸の国旗をめぐる攻防

この金メダルは、日本にとっては栄光の象徴だったが、朝鮮では複雑な思いで受け止められた。

朝鮮のメディアは、表彰式の写真から孫の胸にあった日章旗を消して報道した。長く統治下に置かれた朝鮮に届いた大ニュースだったが、手放しでは喜ばれなかったのだ。

そのメディアは朝鮮総督府から発刊停止処分を受け、幹部や記者らが拘束されるなどの処分が下されることとなった。

 

教え子が自分の記録を塗り替えた

戦後、孫は韓国代表監督として数多くのランナーを世界に輩出した。

47年にボストンマラソンで優勝した徐潤福は、孫の世界記録を12年ぶりに更新しての優勝とあって、孫の喜びはひとしおだっただろう。52年ヘルシンキ五輪では韓国選手団の総監督を務め、その後も大韓陸上競技連盟会長などを歴任し、韓国スポーツを盛り上げた。 

天寿を全うした偉大なランナーは今、テジョンの国立墓地に眠っている。 

(mimiyori編集部)

 

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