【五輪金メダリスト連載】優勝シーンの「肩車」元祖~1956年メルボルン五輪レスリング フェザー級 笹原正三

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三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

必殺技「また裂き」を武器に、201連勝目をあげた。

 

笹原正三は、1956年メルボルン五輪レスリングフリースタイル・フェザー級で金メダルを獲得した。開会式では旗手を務め、引退後もレスリング協会の会長を務めるなど日本のスポーツ界をけん引した。21年夏には御年92歳で、2度目の東京五輪を迎える予定だ。

実は笹原は、初代・「肩車」で祝われた金メダリスト。21年夏の会場となる千葉・幕張メッセでも、65年前から続く伝統の肩車が見たいものだ。

 

金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。

 

  

名物優勝シーンの先駆け

レスリングで優勝した選手が、コーチに肩車され、日の丸をなびかせ、リングを回る。今や見慣れた光景となった肩車が、初めて行われたのは1956年のことだった。 

56年メルボルン・ストックホルム五輪、レスリングフリースタイル・フェザー級決勝。笹原とベルギーの強豪・メヴィスとの戦いは時間切れを迎えた。審判がつかみ掲げたのは、笹原の左腕だった。

金メダリストとなった笹原は、コーチや仲間に担ぎ上げられ、肩車で喜びを分かち合ったのだ。

 

戦後レスリングに転向し金メダル!先輩・石井庄八に続いた

「小柄でひ弱」だった少年を強くしたのは、戦争という過酷な状況だった。1929年、山形県山形市に生まれ、山形商業高校で正課の剣道・柔道を極めた。往復8キロの道のりを毎日通い、体が弱いなど言っていられる状況ではなかった。 

戦後はGHQにより柔道が禁止されていたため、中央大学でレスリングに転向した。中大の先輩には、52年ヘルシンキ五輪で戦後初の金メダルを獲得した石井庄八がいた。その金メダルに憧れて練習に励むと、大学4年となった53年に日本一になって以来連勝街道を突き進み、54年には世界選手権をも制した。

 

200連勝 レスリングも肩車も日本のお家芸に

そうして200連勝を成し遂げ、迎えたのが56年メルボルン五輪決勝だったのだ。 

自ら開発した必殺技「また裂き」でつかみ取った201連勝目は華々しく祝われた。

目標だった石井コーチ、さらに同日の昼間に自由形ウェルター級で金メダルを獲得していた池田三男らに肩車される様子は、レスリングが日本のお家芸として確固たる地位を築いた象徴でもあった。

 

スポーツドリンクにいち早く着目!メダルは母校に

金メダルを花道に引退後は、山形商業入学前から志していた貿易の道に進んだ。会社勤めを経て、スポーツ用品の輸出を開始。自ら設立した有限会社ユニバーサル・トレーディングではスポーツドリンクを時代に先駆けて手掛けた。

1989年から2002年度にかけてはレスリング協会の会長を務め、98年長野五輪では選手村村長も務めた。 

「金メダルを見たことがない後輩たちのために」と18年10月には、母校の山形商業高校に記念の金メダルを寄贈した。山形県出身で唯一の五輪金メダリストとして、後進の飛躍を何よりも楽しみにしている。

(mimiyori編集部)

  

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