【五輪金メダリスト連載】「Qちゃん」笑顔の42.195キロ~2000シドニー五輪女子マラソン・高橋尚子

三重県 伊勢神宮 日本国旗 日の丸

三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

 

走り終えた後の笑顔は多くの人に元気を与えた。

00年シドニー五輪、陸上女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子。日本の女子陸上界に初の金メダルをもたらし、国民的ヒロインとして愛された選手だ。

女子マラソンは3大会メダルから遠ざかっている。いよいよ五輪イヤーの幕開け。日本を明るくしてくれる新たなヒロインの誕生に期待したい。

 

 

 

 

 

名伯楽・小出監督との出会い

 師匠との出会いがマラソン選手としての始まりだった。

「Qちゃん」の愛称で知られる高橋尚子は、中学から陸上を始め、大学卒業後は小出義雄が監督を務めていたリクルートに入社。小出は、大学までトラック専門だった高橋の潜在能力にかねてから注目し、マラソン選手として育てた。

 

社会人4年目の98年に才能が開花。名古屋国際女子マラソン、アジア大会を当時の日本新記録で優勝した。

 

 

投げたサングラスは父のもとへ

00年シドニー五輪。中間地点からルーマニアのシモンとデッドヒートを繰り広げていた。34キロすぎ、サングラスを外して沿道にいた父親に投げた。意を決して勝負に出た瞬間は、名場面として語り継がれている。

 

ラストスパートをかけてからは一人旅。そのままトップを守ってゴールし、金メダルを獲得した。2時間23分14秒は、84年ロサンゼルス五輪以来の五輪新記録(当時)。「すごく楽しい42キロでした」。レースを振り返った一言と明るい笑顔が印象的だった。

 

五輪後、功績が認められ女子スポーツ界初の国民栄誉賞を受賞。01年、ベルリンマラソンで女子史上初の2時間20分切りの世界記録で優勝。02年の同大会で連覇を果たした。

 

 

師匠から離れて再起を図った

 

 

 

04年アテネ五輪は代表落選。05年には小出監督のもとを離れて独立した。

 

再起を図ったが、ケガで思うような走りができず、08年北京五輪出場もかなわなかった。09年、名古屋国際女子マラソンを最後に現役引退。引退後は解説者をはじめ、メディアで幅広く活躍。陸上教室などスポーツ界での活動も行っている。

 

最近では、シドニー五輪で着用したゼッケンを世界陸連のコレクションに寄贈。「走ることへの挑戦や美しさを感じるきっかけとなり、マラソンへの関心が高まってほしい」と期待を込める。

 (mimiyori編集部)

 

 

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