56年前の1964年東京五輪、圧倒的な強さで金メダルを獲得したバレーボール全日本女子は、世界にその名をとどろかせた。
そのチームでエースを務め、金メダル獲得に貢献した井戸川絹子さんが12月4日、81歳で大阪府内で亡くなった。
東京五輪を最後に引退した井戸川さんらの活躍が、日本バレーボール界にとっては世界に羽ばたく第一歩となった。
2020年東京五輪が1年延期され、「東洋の魔女」の再来が見られるかもしれない舞台が、2021年夏の東京・有明アリーナだ。延期されている間に、更なる進化を遂げているであろう「火の鳥NIPPON」にも、「東洋の魔女」の血は脈々と受け継がれている。
球技初の五輪金 バレーボール全日本女子は大人気
テレビ視聴率66.8%。
スポーツ中継の歴代最高記録だが、何のスポーツの中継だろうか。
テレビ中継と言えば、野球?それとも日本の国技、相撲?
勘の良い読者の方であれば、正解はお見通しだろう。
いや、この流れなら、誰でも分かるって?
その通り、これは1964年10月23日、東京五輪女子バレーボール決勝戦の中継だ。
ではもう一つ。
あまたある球技の中で、日本が初めてオリンピックで金メダルを獲得したのは、いつ、どの球技だろうか。
うーん、やはり野球?バスケ?卓球も最近は強いけれど、日本史上初…
実はこれも、1964年10月23日、バレーボール全日本女子が、日本の球技では史上初めて、五輪金メダルを獲得したのだ。
最後の質問。
週刊少年ジャンプに連載されていた漫画「ハイキュー!!」では「ローリングサンダーァァァアゲイン!!」というセリフと共に行われている「回転レシーブ」。
手を伸ばしただけでは届かないボールを、飛び込んでレシーブし、そのまま床で回転することで、次のプレーに向けて体勢を素早く整える。
いまや世界中のプロバレーボーラーがさらっとこなしている。
それを開発したのは、どこの誰だろうか。
バレーボールの強豪、アメリカ?ブラジル?いいや、開発したのは何と日本チームなのだ。
どれも簡単すぎたかもしれないが、20代の筆者としてはバレーボール、それも女子がこれほど日本で絶大な人気を誇り、独自の戦略を生み出し、素晴らしい結果を残したということに驚きを隠せない。
そんなバレーボール日本女子の躍進が始まった時期は、東京五輪のたった10年前、1954年だった。
熱血指導の代名詞「鬼の大松」
1954年、大日本紡績株式会社貝塚工場に女子バレーボールチーム(通称「日紡貝塚」)が発足した。
のちに「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表女子の監督で、「鬼の大松」こと大松博文氏が日紡貝塚監督に就任した。「2年で日本一のチームを」という思いのもと、徹底的なスパルタ指導でチームを鍛えていった。
負けては猛練習、勝っても猛練習を繰り返し、チーム発足後約1年で、国内3つのタイトルを奪取し、5年目には国内の4大タイトル、さらに女子総合選手権大会では6人制でも優勝し、日本のチーム史上初となる5冠を獲得した。
国内大会を制覇し、順調と思われたチームが次に目指すのは世界。
しかし、そこに6人制と9人制の違いという大きな壁が立ちはだかる。
当時の日本は9人制が圧倒的だったが、世界的にはほとんどの国が6人制のバレーを採用していたのだ。そのため、日紡貝塚はこれまでの9人制を6人制に切りかえ、猛練習を続けた。
女子バレー大躍進に「回転レシーブ」あり
結果、1960年世界選手権では、全日本女子代表12人のうち6人が日紡貝塚から選抜され、惜しくも当時のソビエト連邦(現・ロシア)に敗れたが、銀メダルを獲得した。
その成果が認められ、61年には日紡貝塚チームが欧州遠征に派遣され、親善試合でソ連を破るなど、破竹の22連勝を飾った。
そして、東京五輪の前哨戦となった62年世界選手権では、大会3連覇のソ連を倒して初優勝を決め、「東洋の魔女」として名を馳せた。
大躍進に欠かせなかった武器が、「回転レシーブ」だ。
大松監督率いる日紡貝塚チームが始め、極めたもので、1964年東京五輪にて全日本代表が採用して以降、世界に広まることとなる。
東洋の魔女 世界の頂点へ
強力な武器を手に、日本中の期待を背負って、迎えた1964年東京五輪。
と思いきや、世界制覇を果たした62年、大松監督と主力選手たちは、目標を達成したとして引退を表明したのだ。
もちろん周囲は反対し、女子のバレーボールが正式競技と決定した東京オリンピックまではバレーを続けてほしいと説得した。
そうして迎えた「鬼の大松」と「東洋の魔女」の真の最終決戦、それが64年10月23日だった。
決勝戦の会場、駒沢屋内球戯場のスタンドは超満員。
そして、日本中の人々がテレビに釘付けになって、声援を送った。
相手は宿敵・ソ連。代名詞の「回転レシーブ」を武器に、第1、第2セットを連取したが、ソ連は簡単には崩せない。
第3セット終盤14-9から、怒とうの追い上げを受け、14-13と1点差にまで詰め寄られた。
6回目の金メダルポイント、やっとの思いで、「東洋の魔女」が世界の頂点に立った。
たった10年、されど10年。最後までドラマの連続だった。
筆者は東京五輪女子バレーボール決勝を見に行く予定だ。
有明アリーナで羽ばたく「火の鳥NIPPON」を見られると期待している。2021年の夏が楽しみで仕方がない。
(mimiyori編集部)