新型コロナウイルス感染拡大第3波の到来と共に、飲食店への時短営業が要請され始めた。
経営と安全のはざまで試行錯誤を続けてきた外食産業だったが、2020年の終わりを目前に、再び窮地に立たされた。
あまたの荒波を越えてきた、飲食業界大手のDDホールディングス(旧ダイヤモンドダイニング)にとってもただ事ではない。
外食産業のファンタジスタと呼ばれる松村厚久代表取締役社長グループCEOの歩みを振り返るコラム。
第3回は松村氏が独立して商売を始めたお話。エンタメ心あふれるレストランは、お化け屋敷からヒントを得た。
貯金ゼロ 融資もなし まずは日焼けサロン
ディスコブームがかげりを見せたころ、もうディスコで働く意義もなくなったと、独立に向けて動き始める。
1996年、28歳で退職し、飲食店経営に向けて準備を始めた。
ところが、貯金ゼロ、金融機関からの融資も受けられず、独立の厳しさを思い知されることになる。
飲食店の開業資金を貯める、融資を受けるための信用をつける、さまざまな飲食店の視察をするため、何とかお金を工面して当時自分もよく通っていた日焼けサロンを始めることに。
日焼けサロンを選んだ理由は、他店でおろそかになっていたサービスやホスピタリティをきちんとやれば絶対に当たると確信していたからだ。
池袋に12坪の店舗を借りて、個室を用意して、BGMも有線を引いて自由に選べるようにしたところ、その狙いは大当たり。夏の繁忙期は1店舗あたり月商が400万円ほど、5年間で4店舗の展開に成功し、いよいよ飲食店の立ち上げに着手する。
本場のお化け屋敷からヒント “本格的エンターテインメント・レストラン”
その頃訪れたのが、アメリカのオーランドにある、世界一怖いといわれているお化け屋敷。
本場、本物のエンターテインメントとは、これほどディテールにこだわるのかと感動した。
おいしいレストランはいくらでもあるが、ワクワク感が楽しめるレストランは少ない。これだとひらめき、本格的エンターテインメント・レストランのコンセプトを考えるようになった。
敷居の高い銀座に何とか初出店
そして約3000万円を貯めて、2001年3月に、ようやく銀座6丁目に「VAMPIRE CAFE」をオープンさせた。
初出店の地に銀座を選んだのは、「どうせやるなら日本一の繁華街、東京・銀座で勝負したい」という思いが強かったからだ。
高校時代、ピザ店もない、マクドナルドもない高知で、「どんな味がするんだろう? 食べてみたいなあ」と思っていた少年が、15年後なんと、日本一の繁華街・銀座で店を構えることになろうとは、誰も想像しなかったに違いない。
思えば、マクドナルドもタリーズコーヒーも、1号店は銀座だった。
(つづく=mimiyori編集部)
※これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラムです。
新型コロナウイルス感染拡大による影響と闘う各業界の方々へエールを。