熱戦が繰り広げられた東京パラリンピック。花形競技の陸上競技では、今大会から新種目が採用された。様々な障がいを持つ選手が男女混合で走るユニバーサルリレー。日本は最後まで「タッチ」でつなぎ切り、初のメダルを獲得した。
地元開催のパラリンピックに懸けてきたベテランの姿、新たな力も次につながる結果を残した。アスリートたちの名場面を振り返る。
ユニバーサルリレー:攻めの「タッチ」で表彰台
最後までつないだ先に歓喜の瞬間が待っていた。
日本のメンバーは澤田優蘭、大島健吾、高松佑圭、鈴木朋樹の4人。9月3日、まずは予選で日本新記録を更新する47秒94をマーク。2組終了時点で、暫定4位。最終3組の1着ドイツが48秒21。日本の記録を上回ることができず、決勝進出をギリギリで決めた。
決勝の相手は中国、米国、英国。英国と競り合うも4着で入線。しかし、2位で入った中国が違反で失格となり、3位に繰り上がった。
新種目の400メートル・ユニバーサルリレーは、視覚障がい、義足または機能障がい、脳性まひ、車いすの順に男女各2人が走る。バトンは使わず、身体のどこかに触れるタッチでつなぐ。
個人の走力では海外勢に押される日本は、タッチワークを磨いてきた。19年世界選手権では第3走者から第4走者へのタッチが届かず失格。以降、多くの選手が合宿に参加し、タッチするタイミングを繰り返し練習。身につけてきた攻めのタッチで強豪に食らいつき、メダルを呼び込んだ。
永田務:マラソン男子日本人初出場クラスでメダル
男子マラソンでも2人がメダルを獲得した。
上肢障がいのT46クラスで日本人初出場を果たした永田務は銅メダル。一時はメダル圏外まで順位を落とすも、粘りを見せて堂々の3位。今後は世界記録更新へ走り続ける。
T12クラスの堀越信司は、16年リオ大会4位の悔しさを晴らす銅メダル。終盤の坂を見越し、前半で自分のペースを守り続けた戦略が功を奏した。
短距離でもメダリストが誕生した。男子100メートル(T52)で大矢勇気が銀メダルを獲得した。12年ロンドン大会を目指していたが、出場権をかけた選考会の当日に母が死去。ロンドン、16年リオ大会は代表外だったが、ようやく母に吉報を届けることができた。
ベテランアスリートたちの東京パラリンピック
夏冬合わせて8度目のパラリンピックだった土田和歌子。今大会はトライアスロンと女子マラソン(T54)に出場した。女子マラソンでは3位に16秒及ばず4位。16年リオ大会でも1秒差の4位に泣いており、24年パリ大会が競技人生の集大成となる。
男子走幅跳(T63)の山本篤は、夏冬合わせて5大会連続出場、08年北京、16年リオに続く3個目のメダル獲得を目指した。5本目に自己記録を5センチ更新する6メートル75を記録して3位に浮上するも、最後は逆転されて4位に終わった。
男子走高跳(T64)で00年シドニー大会から6大会連続出場の鈴木徹は4位タイ。シドニーとアテネで6位、北京5位、ロンドン、リオで4位。今大会も6大会連続入賞を果たしたが、あと一歩のところでメダルを逃した。
女子走幅跳(T64)では、19年世界選手権覇者の中西麻耶が出場。コロナ禍で練習拠点の関西と実家の行き来が難しくなったことで、高齢の家族と離れて大阪へ移住。結果は5メートル27で6位入賞だった。
村岡桃佳:夏冬二刀流で100メートル決勝進出
村岡桃佳は、19年春から挑戦した陸上・女子100メートル(T54)で6位に終わった。
中盤までトップを走ったが、夏のメダル獲得はならなかった。
次は、既に内定している冬季の22年北京大会だ。18年平昌大会ではアルペンスキーで金メダル1個を含む5個のメダルを獲得。陸上での経験を生かして、冬の女王の座を守り抜く。
(mimiyori編集部)