【プロ野球】元盗塁王が社会の難局でも快走できる理由~赤星憲広

兵庫県 甲子園球場 プロ野球

阪神の本拠地 阪神甲子園球場(写真:photoAC/akkira)

ルーキーイヤーで盗塁王のタイトルを獲得した阪神の近本光司が、20年シーズンもセ・リーグのトップを独走している。2年連続で盗塁王に輝けば、阪神では05年の赤星憲広以来、15年ぶりの快挙となる。5年連続の記録を残したその大先輩・赤星は、想定外のコロナ禍にあってもテレビ解説や評論家としての仕事が順調で、第2の野球人生を快走中。難局を生き抜くヒントは、名将・野村克也氏のもとでプレーした阪神時代の1年にあった。

 

 

 

 

教科書が超楽しい

敬遠しがちな難しい教科書が楽しくて仕方なかった。書籍「証言 ノムさんの人間学 弱者が強者になるために教えられたこと」(宝島社)によると、01年の阪神春季キャンプで配布されたレジュメ『野村の考え』を、当時新人だった赤星はわくわくする思いで読みふけっていたという。

「僕がプロに入ってやりたかったことと合致していた」

野村のヤクルト監督時代、ホワイトボードに板書して選手がノートに書き留めていたミーティングは、阪神監督時代になるとあらかじめレジュメのような冊子で配布されるスタイルに変わった。

最下位が定位置だった当時の阪神の選手たちに内容がどこまで響いていたか疑問だが、赤星の心は確実にとらえていた。

 

 

師弟の考えが完全一致

 

01年にJR東日本からドラフト4位で入団。50メートルを5秒6で走る俊足が武器だったが、小柄で打撃にはまったく自信がなかった。

とはいえ、打てなければ盗塁もできないし、試合にだって出られない。そこで、プロ野球の荒波に対抗する手段として、まず考えたのが「配球の勉強をすること」。読みで勝負するしかない、と決意して阪神に飛び込んだ瞬間、自分にぴったりの教科書を渡されたのだ。 

 

最高の褒め言葉は「読み勝ちだな」

 

赤星の心意気を名将は見抜いていた。春季キャンプで「F1セブン」と名付けられた俊足7選手の1人として、1号車(1番打者)に指名された。新人ながら開幕1軍入りを果たし、かつてのヤクルト・古田がそうであったように、試合中は野村の目の前の席に座らされ続けた。

「頭で考えて野球をしなさい」

数えきれないほど言われた言葉を理解して忠実に守り、1年目にして128試合出場、打率2割9分2厘。新人王と盗塁王にも輝く活躍ぶりで期待にこたえた。勝負所での一打を「読み勝ちだな」と褒められることが何よりもうれしかった。 

 

「準備」の大切さを学ぶ

 

野村が01年シーズン限りで阪神を退団したため、直接指導を受けたのはこの1年だけだった。しかし、濃密な1年を過ごせた分、赤星の中ではその後も師弟関係は続いた。赤星が現役を引退して新たなステージに進み、20年2月に野村克也が亡くなった今でも続いている。

 

「野村さんの野球で習った教えは今も生きている。今の仕事になってからも、僕はすごく準備するんです。準備して入れば、全部がうまくいかなかったとしても何とかなる。準備がおろそかだと反省のしようがない。どの仕事でも同じだと思います」

 

コロナ禍の影響や引退から時間が経過したことなどでメディア露出が減っていく元スポーツ選手が多い中、順調に仕事ができている理由として、野村から予習や準備の大切さを教わったからと分析する。野球を愛し、仕事を愛し、野球のためだけに細部にこだわって準備を怠らなかった恩師の姿勢そのものが、赤星を支える教科書となっている。

詳細は『証言 ノムさんの人間学 弱者が強者になるために教えられたこと』(宝島社)で。

(mimiyori編集部)