【プロ野球】ロッテ沢村にも通ずる トレードを絶好機にするヒント~鉄平

楽天生命パーク宮城

楽天生命パーク宮城(写真:photoAC/T.suzuki)

トレードには「チャンスの芽」が秘められている。20年9月、巨人の沢村拓一投手がロッテに電撃トレードされ、球界に衝撃が走った。

入団会見当日の試合に登板し、3者三振に打ち取った場面に胸を熱くしたファンは多かったはず。日本ではネガティブなイメージが付きまとうトレードが、選手にとってはポジティブなものになりうることを再認識させる一幕でもあった。

パ・リーグの元首位打者・鉄平は、チャンスの芽を大輪の花として開かせた1人。今後の沢村のヒントにもなる「咲かせ方」を知っている。

 

 

 

「考えること」を増やす

 2005年秋、鉄平は金銭トレードで中日から楽天へと移籍した。00年に大分・津久見高から「九州のイチロー」としてドラフト5位で入団したものの、当時の中日では外野争いに加われず、ほとんど2軍暮らし。無名の若手としての楽天加入だった。その新天地の春季キャンプで待ち受けていたのが、名将・野村克也による連日連夜のミーティング。若手ゆえに最前列でひたすらノートを取り続けた。

 

書籍「証言 ノムさんの人間学 弱者が強者になるために教えられたこと」(宝島社)によると、はじめはメモすることだけに精一杯だったが、日を追うごとに書き留めた内容を理解するようになったという。

それまでは野球のセオリーを知っていても、理由まで突き詰めて考えることがなかった。自分自身でしっかり考え、しっかり理解した上で、野球を実践する。

「考える野球」は行動にも変化をもたらし、それまでがむしゃらにバットを振っていただけの練習が、「わざと詰まらせた打つ」など実戦を想定した練習に変わった。

 

「努力の天才」と褒められる 

 

移籍初年度は103試合に出場して、打率3割3厘。中日時代は5年で計52試合の出場にとどまっていた男が、新天地で一気にブレイクした。

以降、07年、08年と出場試合数を着実に増やしてレギュラーの座を不動のものとし、09年にはついに打率3割2分7厘で首位打者とベストナインに輝く。高校時代から認められていた天性の打撃センスに、「野村の考え」が加わったことでタイトルに手が届いた。

 

その鉄平を、野村監督は「努力の天才」と評したことがあった。指揮官から直接に言われたわけではなく、メディアを通じて知ったのだが「素直にうれしかった」という。

結果で評価されるプロの世界ではあるが、同監督は鉄平の過程を見ていた。新しい環境に身を投じ、必死に考えながら続けてきた努力が認められた、最高の褒め言葉だった。

 

 

「始まりの人」を見つける

 

20年2月に亡くなった恩師のことを鉄平は「始まりの人」と称す。「野球人生、僕の野球観そのもの。野村さんの教えからすべてが始まっていると言っても過言ではない。ブッダみたいなもの」とも。

楽天の1軍打撃コーチとなった現在も、野村との出会いを奇跡として感謝するが、明るい未来のために差し出された手を逃さず握ることができるかどうかは結局、自分次第。鉄平に素直さと勤勉さがあったからこそ「始まりの人」に出会えたともいえる。

 

誰にでも「始まりの人」はきっと現れる。

すでに過去に出会った人かもしれないし、これから出会う未来の人かもしれない。

そして、その人の言動を教えとして自分のものにできるかどうかは自分次第。野球界に限らず、就職や異動、転職などの人生の節目に立つ社会人にも通じるヒントだろう。

 

(mimiyori編集部)